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マララさん、学校開設 [海外旅行]

7月14日付の朝日新聞記事を紹介します。

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16歳でタリバーンの襲撃を受けながらも奇跡の回復を遂げて、17歳の誕生日で教育の重要性を国連でスピーチ、さらにノーベル平和賞を受賞。そして18歳の誕生日にシリア難民のために学校を開設、と目覚しい活躍を続けるマララさんです。開校式のテープカットから教室内の写真があります。s-マララさん、学校開設 テープ・カット.jpgs-マララさん、学校開設 教室へ NHKTVより.jpgs-マララさん、学校開設 教室にて.jpg

18歳とは思えないほど、一人前のおとなの貫禄が感じられます。将来、とても近い将来に、彼女の希望通りに政治家になることでしょう。おそらく女性や子どもなどから、ささやかな意見も充分に聞いてくれる政治家です。国民や世論の声に全く聞く耳を持たない政治家が今の日本におりますが、彼女は民衆のための頼もしい政治化になることでしょう。政治家としての晴れ舞台を期待しております。

私がお手伝いできる事は、彼女の著書を買うことで間接的に援助することしか出来ません。ささやか過ぎて気が引けますが、ほんのわずかばかりでも何かの足しになれば嬉しいです…

 


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ソーラー・インパルス2 太陽光エネルギー飛行機 [海外旅行]

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スイス・ローザンヌ大学で研究されている太陽光エネルギー飛行機、いわゆるソーラー・プレインによる世界一周を目指す飛行が、この春3月9日にアラブ首長国連邦のアブダビからスタートしました。当初日本に立ち寄る予定はなく、中国・南京からハワイに向かう途中で悪天候のため一時的に名古屋に緊急着陸しました。約ひと月間理想的な天候を待ち、あらためて名古屋からハワイ向けて出発して、無事に到着したニュースが記事になりました。(7月4日付・朝日新聞)

私は飛行機大好き少年、いや飛行機大好き爺さんです。興味深々でこのソーラー・インパルス2について調べてみました。この研究はローザンヌ大学を拠点に03年に始まり、ドイツ銀行やオメガなどがスポンサーとなり、バイエル製薬やトヨタ自動車など世界中の企業がサポーターとして参加している一大プロジェクトです。1号機となるプロト・タイプ機は09年に初飛行に成功して、その後今回のソーラー・インパルス2を開発。今回の世界一周にチャレンジしているわけです。

今回の計画では、約5ヶ月間で世界一周をする予定でした、そのルートは下記の通りです。s-ソーラー・インパルス2 飛行ルート.1.jpg

機体には17,248個の太陽電池が装備されて、総重量は2,300kg、離陸速度は35km/h、巡航速度(時速)は昼間は約90km/hで夜間は節電のため約50km/hです。上空12,000mまでの高度で巡航可能ですが操縦士はひとりで、コクピットは与圧されて酸素マスクは装備されてはいますが、暖房がないために最高高度は8,500mとなっているそうです。操縦士の生理学上の制限により、1回の飛行は3日から4日までとされておりますが、今後の研究でバッテリーが改良されて機体重量を減らせられれば、複座にしてノンストップによる世界一周も可能だそうです。機体の構造とジャンボジェット機との大きさの比較があります。s-ソーラー・インパルス2 構造.1.jpgs-ソーラー・インパルス2 ジャンボ機との比較.1.jpg

ハワイまではジェット旅客機で8時間かからずに到着します。地対空速度(時速)は、およそ900kmです。機内では食事も飲酒もできて、映画や音楽などで、その間快適な空の旅を演出してくれます。ソーラー・インパルス2は名古屋からホノルルまで約7,200kmの距離を118時間、およそ5日間かかりました。平均時速として約60kmの速度は、一般道路の自動車と同じです。自動操縦とはいえたった一人では過酷な時間だったことと思われます。一部の情報ではわずか20分間しかまともな休息が取れなかったとあります。ソーラー・プレインによる太平洋横断で、最長飛行距離と最長飛行時間の世界新記録達成を見事に成し遂げました。ホノルル郊外のカラエロア空港に無事到着した写真です。

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操縦士のアンドレ・ボルシュベルグさん(右)と出迎えた次の区間の操縦士ベルトラン・ピカールさんで、新記録の達成を祝福です。s-ソーラー・インパルス2 ハワイ到着02.1.jpg

今後アメリカ本土に飛行して、北米を縦断、ニューヨークから大西洋を横断して南欧か北アフリカに行き、離陸地アラブ首長国連邦のアブダビに着陸まで世界一周の飛行は続きます。予定された5ヶ月は過ぎてしまいますが、ぜひ安全な飛行で新世界記録を達成してほしいものです。

ソーラー・インパルス2、飛行中の勇姿です!s-ソーラーインパルス2 飛行中.1.jpg

ハワイからの出発は機体のメンテナンスに多少時間がかかるそうで、8月になってしまうそうです。最終的な世界新記録達成のニュースはクリスマス・プレゼントとして世界中に配信される事を願っております。安全な飛行を心より祈り、さらにソーラー・インパレス3の誕生も期待してしまいます。なにしろ私は、飛行機大好き爺さんなのですから…

 


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マララさんの国連演説が中学の英語教材に [海外旅行]

パキスタンで銃撃に会いながらも教育の重要性を世界中に訴え続けている、17歳の最年少ノーベル平和賞受賞のマララ・ユフスザイさん。彼女の本は日本国内でも多種出版されて話題になっています。

s-わたしはマララ(Gakken).jpg

s-武器より一冊の本をください マララ」・ユフスザイの祈り(金の星社).jpg

s-僕たちはなぜ学校へ行くのか。(ポプラ社).jpg

s-マララー教育のために立ち上がり、世界を変えた少女(岩崎書店).jpg

s-マララさんこんにちは 世界でいちばん勇敢な少女へ(西村書店).jpg

本の中でも取り上げている、彼女の16歳の誕生日に国連本部で行った演説が、中学校の英語の教材として利用されていることが報道されました。s-マララ・中学教材へ01.jpg

この演説、当時テレビで放送されているのを拝見しましたが、わかり易いはっきりとした英語が私にも理解できて関心をしてしまったほどです。新聞記事からその一部分です、s-マララ・中学教材へ02.jpg

私が中学校で受けた英語は教科書が『JACK & BETTY』で、文法とリーディングが主でした。その後も英会話はほとんど受けておりません。ヒアリングと言って、聞き取りのテストはありましたが、喋る教育はありませんでした。ですから上記の英語の文章はそのまま理解できます。言い換えれば、私の英語能力は中学生並みなのです。

結婚してから夫婦でかなりの数、海外旅行を楽しんでおります。初期のごくごく一部を除いて、ほとんどが夫婦ふたりだけの個人旅行です。多少なりとも英語が喋れなければ、食事も、買い物も、遊びにも、行かれません。初期の海外旅行は、まだ英国が統治していた時代の香港を訪れて、国際線の乗り方、ホテルの利用の仕方、などなどを実地で勉強しました。香港を往復したのは10回ほどですが、その間にファースト、ビジネス、エコノミーと、国際線の全クラスの客席を経験させていただきました。ホテルにおいては、ポーターとベルボーイの区別が出来なかった素人が、ホテル・カーを利用できるまで経験を積む事が出来ました。その間に少しずつですが英会話力が上がり、観光客としての会話程度でしたら出来るようになりました。もちろん生活をするほどの能力はありませんが、会話ができる喜びを感じています。当然ですが、日本語訛りのたどたどしい英語です。フランス語圏のパリ、ドイツ語圏のウィーンやザルツブルグでも、私のつたない英語力がわかると、それ相応にわかり易い言葉で応じてくださり感謝をしております。一番苦労したのがニューヨークです。ひとこと喋ると、マシンガンのごとくに大量の英語が返ってきます。“訛りがあろうがたどたどしくても、ここはニューヨークだ、お前もちゃんと喋れるんだろう!…”、ってな具合でした。多民族都市ニューヨークを直に感じさせてくれたいい思い出です。よく行くハワイでは、ホノルル空港に到着するとすぐさまタクシーでワイキキのホテルへ向かいます。宿泊先のホテル名を告げると車内は夫婦ふたりの日本語での会話のみです。ただそれが、帰りの空港に向かうタクシーでは、運転手と冗談を言い合うようになります。たった1週間程度の滞在ですが、聴く耳が育つのでしょうね。

海外旅行ではありませんが、去年12月の結婚記念日に“東京ディズニーシー”で、リトル・マーメイドのヒロイン、アリエルと英語で会話を楽しんできました。ちょうどその日が30周年の記念日で、その説明をしている写真があります。最後に紹介します。s-アリエルに結婚30周年記念日を英語で伝える….jpg

今の時代、いやこれからの時代にも英会話が必要でしょう。ボケ防止のためにも少しずつでも勉強していくように心がけたいです…

 


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寒波のニューヨーク [海外旅行]

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先月末、米国ニューヨークは大雪に見舞われて非常事態宣言まで発令されました。24時間が売り物の地下鉄やバスも運休、ブロードウエイの劇場はすべて休館となったそうです。思いだすのは15年も前になりますが、2000年1月の私たち夫婦のニューヨーク旅行です。ニューヨークは夏暑くて、冬寒い処との認識で、それなりの服装で出かけましたが、運悪く寒波に襲われて極寒での旅行となりました。JFK空港到着寸前の機内では“到着地ニューヨークの天候は晴れ、気温はマイナス20℃で…”とアナウンスされて、機内に大きなどよめきが起こったことが記憶にあります。マンハッタンに到着して、-20度の感覚はないもののまず温かい物が食べたくて飛び込んだのが、ミュージカル『キャッツ』を上演中のウインターガーデン・シアターの1階にある『レストラン さらしな』です。(写真右下、グリーンのテント屋根にひらがなで“さらしな”とある)UDON&SOBAの看板が目に入り飛び込んだところ、店内には寿司のカウンターまである日本食レストランでした。

s-00.01.19レストラン・さらしな&ミュージカル・キャッツ.jpg

注文は私が温かい鴨南そばに妻がカレーうどんで、カレーの具材の肉に“Beef,Pork or Chicken?”と聞かれたのにはびっくりしてしまいました。ベジタリアンや宗教の関係で肉が食べられない方がいるのです。さすがニューヨーク、人種のるつぼの都市だと、到着早々に実感しました。

宿泊したシェラトン・ニューヨーク・ホテル前の写真です。後ろに写っている目だし帽の方々に注目。s-00.01.22シェラトン・ニューヨーク前.jpg

寒さよけにはこれが一番なのです。まるでこれから銀行強盗に出かけるようなスタイルです。

朝8時過ぎの天気予報のテレビ画像です。“現在小雪で華氏23度…”、華氏23度は約-8℃です。夜はそれが華氏5度、約-17℃まで下がります。完全に冷凍庫の中です。s-00.01.20 朝8時の天気予報・華氏23度=摂氏-8度.jpg

今年と違って雪は少なかったものの、寒さが身に堪えました。s-00.01.21 雪のニューヨーク.jpg

次の写真は、『メトロポリタン美術館』入り口の階段です。

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足元にはツララ状になった氷と、うしろの方々は目だけ出して寒さをしのいでおります。空気が痛いのです。顔を刺される痛さなのです。1月のニューヨークは目だけ出して歩くのが正解なのです!!氷点下での生活です。横断歩道の信号待ちも、2重ドアになっているお店で寒さをしのいで、信号が変わりしだい飛び出していく…、普段東京では出来ない体験をさせてもらいました。

先週金曜日(1月30日)東京にも雪が降りました。ニューヨークに大雪をもたらした北極の寒気が地球の反対側の日本にもやってきたのです。幸いにも東京での積雪は2~3cmで、夕方からは雨に変わり、積もった雪は一晩で融けてしまいました。この日、最低気温が0℃、最高気温が2℃でした。氷点下にはならなかったもののかなりの寒さを感じてしまいました。東京では、氷点下での生活など考えられません。加齢と共に寒さが厳しく感じるようになってしまいました。東京では雪の後に晴天が続き、日中は10℃近い気温に上がっております。空気は冷たいものの、日差しがぽかぽか温かく感じられて、おひさまのありがたみをつくづく思い知らされます。太陽の恵みに感謝、感謝、です…

 


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『インターナショナル・マーケット・プレイス』結婚30周年記念旅行ハワイ・その3 [海外旅行]

エルヴィス・プレスリーの映画『ブルー・ハワイ』の劇中で、恋人のマイリが勤める旅行会社がこの“インターナショナル・マーケット・プレイス”の正面向かい側にあり、マーケット・プレイスがアップで映し出されるシーンがありました。

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映画は1961年制作ですからすでに半世紀以上が経ちます。このマーケット・プレイスも昨年暮れに53年の幕を閉じたそうですから、映画の撮影と同時期にオープンされたものと思われます。入るとすぐ中央に大きなバニアン・ツリーがあり、足元の池には鯉が泳ぎ、滝もありました。樹の上にはツリー・ハウスも設けられて、エルヴィスの記念館になっていた記憶があります。

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ちょっぴり怪しげな露店が所狭しと並んで、ハワイ土産のB級品が何でも揃う場所でした。買い物はしなくても雰囲気を味わいに訪れた人は私たちだけではないでしょう。この9月に訪れるとそこは更地になりリニュアル・オープンに向けての工事中でした。次の写真は、カラカウア通りから昔の正面入り口を撮影したものです。

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中央のバニアン・ツリーだけが残されて工事が進められております。逆のクヒオ通りからは少しばかり工事の様子が見えました。

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2016年春に新オープンするようです。

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予想完成図を見ると、昔の面影は全く無くなり、超モダンなアメリカン・スタイルのショッピング・モールになるようです。ニューヨークの一流デパート“5th アベニュー”が進出するそうで、どんどんアメリカ本土化が進みます。昔の良きハワイはどこに行ってしまうのでしょうか?本物のハワイを求めるならば、オアフ島を離れてほかの島に行かなければならなくなってしまいそうです。

余談ですが、“アロハタワー・マーケット・プレイス”も、リニュアルに向けての工事中でした。ショップもレストランも閉鎖されて、観光客は私たちも含めて片手で数えられるほどしかおりませんでした。ここも古き良きハワイがなくなりそうです。次の写真は完成予想図です。

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ハワイに行き始めて25年、結婚30周年を記念しての旅行で今回が18回目となりました。これまでにオアフ島をメインにカウアイ島、マウイ島にも旅をしましたが、訪れるたびに変化があり、それを楽しみながらもそのスピードに驚かされてしまいます。アメリカの一州なので仕方ありませんが、これから益々、アメリカン・ナイズされていってしまうのでしょうか、少し心配です。それでも、ゆるやかなハワイアン・タイムや、やさしいハワイアン・アトモスフィアが大好きです。夫婦でこれから何回行かれるかわかりませんが、骨休みとリフレッシュに再び行きたい思いに駆られております…

 

 


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桂小金治さんの訃報に接して… [海外旅行]

落語家の桂小金治さんが亡くなられました。

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60年代、私が中学高校の時代からテレビの司会を務めていたので、小金治師匠の落語を聞いた覚えがありません。新聞記事にあるように“怒りの小金治”や“泣きの小金治”は、はっきりとした記憶があります。訃報に接して、その“泣きの小金治”さんにお会いしたことが思い出されます。もう23年も前の事ですが、ハワイ旅行の帰りにホノルル空港の搭乗口での出来事です。91年9月4日ホノルル発成田行きのJAL071便の搭乗待ちをしていると、小学3,4年生位の男の子が『あっ、いつもテレビで泣いているおじさんだぁ!』と大声で叫びながら指をさしたのです。おもわずつられてその指先を見ると小金治師匠と奥様が座られておりました。『人様に指をさしちゃいけません!』と、お母さんに怒られておりましたが、師匠は満面の笑顔で、奥様もにこやかな表情でした。周りにいた私たちは子どものお母さんの怒鳴り声に驚かされましたが、師匠の笑顔でおだやかなやさしさに包まれました。ほんの些細な出来事ですが、師匠の訃報に接して真っ先にこの時の笑顔が思い出されました。ご冥福をお祈りいたします。

搭乗時にわかったのですが、師匠夫妻は私たちと同じビジネス・クラスでした。当時のJALではエグゼクティブ・クラスと呼ばれておりました。

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その日のボーディング・パスです。

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この便に、もうひと家族の芸能人とお会いしました。神田正樹・松田聖子ご夫妻と娘さんの沙也加さんです。ホノルル空港の免税店でネクタイを物色してたら、私のすぐ隣に男性がひとり来て同じようにネクタイを選びはじめ、足元にはまだ小さな女の子がうろついておりました。私は全く気がつかずに、後から妻に、『隣にいたの神田正樹よ!』と言われてビックリしてしまいました。足元の女の子は沙也加ちゃん、当時まだ5歳の幼稚園児でした。搭乗口で、『M・かんだ様、M・かんだ様、免税品をお受け取りください』とのアナウンスが何回か流れて、ネクタイを買ったんだなと思いました。ちなみに私たちが物色していたネクタイのブランドは“ミラ・ショーン”です。

神田夫婦は当然ながら(?)ファースト・クラスで、小金治夫婦と私たちはビジネス・クラス。小金治夫婦の庶民性を感じたフライトでもあります。私たちはちょっぴり背伸びをしてしまいましたが…。

小金治師匠の訃報に接して、いろいろと思い出されました。あらためて小金治師匠のご冥福をお祈り申し上げます。

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『讃岐うどん食べ比べ』結婚30周年記念旅行ハワイ・その2 [海外旅行]

“讃岐うどん”の食べ比べをハワイでしてきました。

まずはお馴染みのクヒオ通りの『丸亀うどん』から、s-丸亀うどん 01.jpg

相変わらず行列をしての混雑ぶりです。セルフのお店で厨房も丸見えです。従業員の方は日本と同じ白衣姿で元気よくがんばっております。s-丸亀うどん 04.jpgs-丸亀うどん 05.jpg

まさに地元讃岐と同じです。違うのは会話が英語で支払いがドルであることだけです。KAKEうどんやKAMAAGEうどんなど定番メニューに加えて、新メニューも加わりました。s-丸亀うどん 02.jpgs-丸亀うどん 03.jpg

健康志向なのでしょうか、サラダ系が増えております。日本人相手ではなくて、私たちから見て外国人向けなのが感じられます。

昨年11月に訪れたときは、日本の消費税にあたる州税が“内税”でしたが、今回は“外税”になっております。約4,7%ですが、実質の値上げです。昨年のレシートと今回のレシートを比べてみます。s-丸亀うどん レシート2013年11月.jpg

2013年11月18日で、ラージサイズのかけうどんふたつとアスパラガスとマッシュルームの天ぷらを食べて、12,50ドルでTaxは0,00になっております。

今回、2014年9月19日では、レギュラーサイズのかけうどんふたつに、ちくわとイカの天ぷら、それに昆布のおむすびを付けて12,00ドルで、別にTaxが0,56ドル加算されております。s-丸亀うどん レシート2014年09月.jpg

ワイキキのど真ん中で、行列をしても食べたい本格的なうどんが頂けます。うどん好きにとってはたまらないお店です。

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そして今年6月に、日本人観光客が一度は訪れる『アラモアナ・ショッピング・センター』2階にオープンした“伊予うどん”に行ってみました。アラモアナ・センター2階の山側、駐車場の一部を改修して新たに数店舗のお店がオープンしておりました。メイン通り裏の旧駐車場なのでちょっぴり不便な場所で、お客様は少なく閑散としておりました。回転すし“GENKI SUSHI”の隣にあります。s-伊予うどん 03.jpgs-伊予うどん 01.jpgs-伊予うどん 02.jpg

価格は“丸亀うどん”と同じ設定になっております。大きな違いはお洒落な、ちょっとお上品なお店に仕上がっている点です。器は赤と黒を配色した塗り物で、店全体のシンボル・カラーとして使われております。従業員の方は全員ティーンエイジャーで、おそらくバイトでしょう。“IYO UDON”のロゴ・マーク入りの紅色のTーシャツがユニホームになっており、静かな店内に皆さんの〝IRASSHAIMASE!(いらっしゃいませ!)〟の掛け声だけがやけに響きます。s-伊予うどん 04.jpg

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レギュラーサイズのKAKEうどんふたつと梅のオムスビとマッシュルームの天ぷらを付けて、ふたりで11,00ドル(約1,100円)であがります。本場の讃岐よりは若干高めですが、東京の讃岐うどん店で食べるよりは安く感じます。味は、丸亀も伊予も打ち立てゆで立ての麺でコシも遜色がありません。一番大きな違いがスープです。伊予の方が味が薄いのです。決してまずくはありませんが、丸亀に比べるとインパクトがありません。東京人から察すると、出汁を前面に出した関西風そのものなのです。十人十色、百人百色なので、これは好みの問題でしょう。私たちのとっては、回数を重ねて慣れているせいか、丸亀のスープが好みです。そしてもうひとつ、お洒落でお上品な伊予に対して、丸亀はそのにぎやかさで本場讃岐のセルフのお店を感じさせて、うどんを多少ズルッ、ズルッと、音を立ててすすっても文句を言われません。海外では、麺をすする音をどうしても気にしてしまいます。丸亀では誰も文句は言いません。ここでは日本の文化が浸透しているのでしょうか。ただ、伊予ではこの雰囲気がありません、お上品なのです…。麺をすする音が気になるなら、わざわざハワイまで行って食べなくていいじゃん…、と言われそうですが、麺類大好きなのです。根っからのメンクイなので…

 


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『ARASHI BLAST』結婚30周年記念旅行ハワイ・その1 [海外旅行]

9月15日から1週間、夫婦でハワイで骨休みをしてきました。空港からホテルへ向かうタクシーで、ワイキキのカラカウア通りに入ってビックリ!、道路わきのポールすべてに『ARASHI BLAST in Hawaii』のフラッグがはためいているのです…!

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人気グループ『嵐』のライブがここハワイで行われるのです。誰かがハワイでコンサートをする、と言うニュースは聞いておりましたが、まさか『嵐』が私達の滞在と合わせてライブを行い、しかも街中に広告が見られるとは思いもよりませんでした。記念として写真を撮ってきましたので紹介をします。

まずは定番、観光客が必ず訪れる『アラモアナ・ショッピング・センター』から…。センター内には大きな、と言うより特大な広告が3種類掲げられております。よく見ると嵐5人のメンバーの顔写真の位置がそれぞれ違ってデザインされております。s-嵐 アラモアナ・ショッピングセンター02.jpgs-嵐 アラモアナ・ショッピングセンター01.jpgs-嵐 アラモアナ・ショッピングセンター03.jpg

『アラモアナ・ショッピング・センター』内のデパート『白木屋』の入り口にはチケット・センターがもうけられて、チケットとグッズの販売をしておりました。s-嵐 白木屋チケット・センター01.jpgs-嵐 白木屋チケット・センター02.jpgs-嵐 白木屋チケット・センター03.jpg

写真には写っておりませんが大勢のファンでごった返しておりました。帰ってから新聞記事で知った事ですが、チケットはここのセンターでUS$165(当時のレートで約17,000円)で、現地販売をしていたそうです。日本ではファン・クラブを通じてチケット付の4泊6日のツアーが、エコノミー席で33万円、ビジネスクラス席で55万円で販売されたそうです。フライトもホテルも出発2週間前までわからず、食事も観光も付いておりません。往復の飛行機代、宿泊ホテル代、コンサート会場までの送り迎え付のチケット代だけの料金です。めっちゃ高っ! あとはすべて現地でお金を落としなさい、と言うことです。ファンの皆様はなんとお金持ちなのでしょう!!

続いての写真は、ここも日本人観光客に超お馴染みの『ロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンター』です。いろいろなイヴェントが行われるロイヤル・グローブの入り口の横断幕です。s-嵐 ロイヤル・ハワイアン・センター02.jpgs-嵐 ロイヤル・ハワイアン・センター01.jpgs-嵐 ロイヤル・ハワイアン・センター03.jpg

センター4階にはロイヤル・ハワイアン・シアターがあり、『嵐』のフィルム・コンサートが16日から21まで開催されておりました。

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シアターは期間中、『ARASHI THEATRE』と名前が変わっております。s-嵐 ロイヤル・ハワイアン・シアターがARSHI THEATREに改名.jpg

ワイキキの街なか、どこに行っても『嵐』なのです。トロリーにも横断幕が張られて、s-嵐 ワイキキのトロリー.jpg

『ABCストア・プリンセス・カイウラニ店』入り口のドアには、s-嵐 ABCストア・プリンセスカイウラニ店 .jpgs-嵐 ABCストア・プリンセスカイウラニ店拡大.jpg

 

若い女性に人気のビキニで有名な、『LOCO BOUTIQ』は、s-嵐 LOCO BOUTIQUE ワイキキ店.jpg

『Le Sportsac』はデザインは同じでも、店舗によって配色が変わります。上はカラカウア通り店、下はアラモアナ・ショッピング・センター店のショウ・ウインドウです。s-嵐 Le Sportsac カラカウア通り店.jpgs-嵐 Le Sportsac アラモアナ・ショッピングセンター店.jpg

シェラトン・ワイキキ・ホテルのバー『RUM FIRE』の屋外テーブル席は、s-嵐 シェラトン・ワイキキ バー・ラムファイアー屋外席.jpg

ハワイ州知事が2014年9月19日を『ARASHI DAY』と定めたことに納得がいきます。ワイキキを歩くと皆さんツアー・パスを首に掛けているので一目瞭然です。ツアー・パスの表と裏です。(この写真はファンの方のブログから拝借しました)

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19日、コンサート初日です。わたし達は午後の便で帰国します。昼近くに散歩をしているとコンサート会場行きのバスの集合場所に行くのでしょうか、ファンの皆さんはツアー・パスを胸に、同じバッグを肩にして、浴衣姿やコスプレなど思い思いのコスチュームで出かけておりました。s-嵐 ツアー客01.jpg

よく眼にしたのがピンク色のアロハ・シャツです。s-嵐 ツアー客02.jpg

柄が嵐のホーム・ページにありましたので紹介します。ワイキキでも目立つ存在でした。s-嵐 アロハシャツ地.jpg

最後の最後、ホノルル空港でも横断幕を見つけました。s-嵐 ホノルル空港.jpg

結婚30周年を記念してのハワイ旅行は、『嵐』のデビュー15周年のお祝いでもありました。莫大な費用をかけてコンサートを実現させたジャニーズ事務所とハワイ州に、“ご苦労様でした…!”と申し上げます。さらに、高いツアー料金を支払い、多くのグッズを買いあさったファンの皆様の散財には、“大変だったねぇ~”と同情申し上げます。ハワイに行き始めて25年、通算18回目のハワイでしたが良くも悪くも記憶に残る旅となりました。このような機会は再び訪れるのでしょうか?…s-嵐 ロゴ.jpg

 


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ユニバーサル・スタジオ [海外旅行]

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に、新エリア『The Wizading World of Harry Potter』がオープンしました。初日の7月15日には開園前に3,000人もの行列が出来たそうです。夏休みに入り、連日の大盛況振りが毎日のようにテレビで報道されております。

s-ハリー・ポッターUSJメイン広告.jpgs-ハリー・ポッターUSJ園内02.jpgs-ハリー・ポッターUSJ園内01.jpg

原作となった小説の日本語版は、最初の何冊かは読みましたが本そのものが分厚くて、重く、持ち歩くのには不便で途中でやめてしまいました。その代わりに映画はすべて見させていただきました。s-ハリー・ポッター映画パンフレット.jpg

お子様向けの単なる童話だと思って見ておりましたが、途中からハリーとロン、ハーマイオニーの成長物語となり、ラストの結婚してこどもを魔法学校に通わせるというオチには感心させられました。

そんな思い出のあるハリー・ポッターですが、オープンしたUSJにはいまだに行く気がしません。01年にオープンして以来、ショーでは日本の法律でで許可されていない大量の火薬が使われて、飛び散る水からは大腸菌が見つかり、レストランでは賞味期限の切れた肉が提供されて、水のみ場の飲料水は消毒されていない工業用水がつながれて…、と考えられない不祥事の連続で、テーマパーク大好きの私ですら行く気がしなくなってしまったのです。もちろん現在はすべて改善されて問題はありませんが…。

本場のユニバーサル・スタジオ・フロリダには過去4回ほど訪れております。s-ユニバーサル・スタジオ・フロリダ.jpg

初回92年には『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』に興奮して、日にちを改めて再び訪れた程です。95年には『スクリーン・テスト・アドベンチャー』で、私たち夫婦が主演のビデオを作製して、宝物になっております。たった10分間の短い映像ですが、私たちが真っ白のロング・リムジンでユニバーサル・スタジオに出むき、園内を1日かけて楽しむ内容です。床から壁面まで真っ青に塗られたスタジオでの撮影です。ブルー・スクリーンと呼ばれる合成映像で、インストラクターのおにいさんの指示通りに、走ったり、笑ったり、投げキッスをしたりと、演じている私には何が何だかわからない撮影でした。モニターには合成された映像が映し出されて、それを見た妻はクスクス笑い出しましたが、演じている私には見えません。最終場面はユニバーサル・スタジオのキャラクター全員が登場して、私たちにスタジオの鍵が進呈されてみんなで盛り上がってエンドとなります。鍵のプレゼンター役としてインストラクターのおにいさんが登場します。さらに、本物の映画同様にエンド・クレジットが流れます。キャストとして私たちの名前や制作年月日などが映し出されて、まさに感動ものです。s-ユニバーサル・スタジオ・フロリダ、スクリーン・テスト01.jpg

当時はVHSのビデオで、この中にたくさんの思い出が詰まっております。現在はDVDにしていつでも楽しめるようにしてあります。s-ユニバーサル・スタジオ・フロリダ、スクリーン・テスト04 DVD.jpg

03年の訪問では、『ターミネーター2 3D』や『シュレック 4D』が最新のアトラクションでした。シュレックのフィオナ姫とのツー・ショットもあります。

s-ユニバーサル・スタジオ・フロリダ、シュレックのフィオナ姫と….jpg

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ハリー・ポッターはUSJの人気回復になるのでしょうか? 東京のディズニー・リゾートを追い越す力になるのでしょうか? 関西の、大阪の経済の復興になるのでしょうか? 今後が気になります。でも、お金を出して個人的に行くのならやっぱりフロリダかな…? 映画大好き、テーマパーク大好きな私が、心からゆっくり、のんびり楽しめるのはフロリダかな…? ディズニー・ワールドもあるし、マジック・キングダムのニュー・ファンタジーランドでリトル・マーメイドのアリエルとお話しもしてみたいし……

 


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ハワイに恋して。様々な音楽シーンを楽しむ… [海外旅行]

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この9月に 結婚30周年記念としてハワイ旅行を決めて心待ちにしております。旅行前の雰囲気作りに、ハワイアン・ミュージックのCDを地元の図書館から借りてきました。(上の写真、3点) 我が家にもハワイアンのCDはありますが、今回借りたのは戦前の録音もあり、めずらしさと懐かしさにあふれた内容のCDです。

現地ハワイへは、初回の89年から数えて今回で19回目となります。ワイキキの通りを歩くと、あちらこちらからハワイアン・ミュージックが聞こえて、さらにはフラ・ショウまでもが無料で楽しめます。ロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センターやワイキキ・ショッピング・プラザなどをはじめ、林立するホテルのプール・サイドやオープン・スペースなどで毎日開催されております。私たちも毎回その無料ショウを楽しませてもらっています。

2回目は91年、『30年後のブルー・ハワイ』と勝手に銘打って、エルヴィス・プレスリーの映画『ブルー・ハワイ』が製作された1961年の30年後に、ロケ地となったカウアイ島を訪問して、映画に登場した『ココ・パームス・リゾート』に連泊、ロケ地巡りを楽しみました。

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エルヴィスの歌声がそのまま聞こえてくるような錯覚を覚えて、大感激しました。

旅行回数が多いので、ほかにもさまざまな音楽の思い出が残っております。中でも2000年には、12歳の少女“アネライカラニ”のデビュー・アルバムがハワイのグラミー賞といえる『ナ・ホク・ハノハノ・アワード』にノミネートされて話題になっていたので、早速そのCDを購入。本格派ハワイアンをしっかりと歌いこんでおり、CDから聞く彼女の歌声は12歳とは到底信じられません。s-アネライカラニ00.jpg

そんな彼女も今年26歳になる素敵なお嬢さんに成長しました。本格派ハワイアン・シンガーのひとりとして活躍をしており、来日公演もあったそうです。s-アネライカラニ02.jpg

さて、訪れるたびに様々な音楽シーンを楽しませてくれるハワイ、今回の結婚30周年記念旅行ではどのようなシーンが体験できるのでしょうか? 今から楽しみですねぇ~!

 


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