ハワイ旅行解禁間近?…2 [海外旅行]
先々週の記事で我が家のレコードライブラリーからハワイアンのCDを紹介しましたが、ひとつ忘れていました。
懐かしい「JAL ジェットストリーム」のハワイ編です。
「ジェットストリーム」は、高校時代に夢中になって聴いていたTOKYO FMの深夜番組です。
海外旅行に憧れて飛行機に乗ることを夢見ていた少年時代で、海外旅行が自由化されて間がなく、1ドルが360円の時代です。
我々の世代で深夜放送と言えば、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」か、TOKYO FM(現・FM東京)で1967年から始まったこの「ジェットストリーム」でした。FM派の私は、深夜0時に流れ出る城 達也さんのナレーションに耳を研ぎ澄ましていたものです。もう50年以上も昔ですが…。
1994年に食道がんで63歳で亡くなり、しばらくしてシリーズでCD化されてからその内の数枚を手に入れました。
丁寧にナレーションの文言が添付されています。
城 達也さんの後は小野田栄一さんがナレーターを務めていますが、残念ながら放送としては聞いておりません。ハワイアン関係として手に入れたこのCDから聴く限りです。
あらためて両CDを聴くと、何か胸に込み上げる物があります。特に城 達也さんのナレーションは何と端正なことか!…
映画「ローマの休日」をはじめとするグレゴリー・ペックの吹き替え声優としても歴史に残り、現在も生き続ける “声” に感謝です。
それにしても来年こそはハワイに行きたい!!
ハワイ旅行解禁間近?… [海外旅行]
日本でも7月26日より、新型コロナに対するワクチン接種証明書として紙の「ワクチン・パスポート」が各自治体から無料で発行されております。
海外では各自のスマホにデータとしての登録が進められて、EUではすでに国境を越えての移動が緩和されているそうです。まだまだ感染拡大の懸念があるものの国外旅行が始まっているのです。
日本の「ワクチン・パスポート」を受け入れてくれる国はまだ数ヶ国だけで、問題は帰国後です。現在日本では海外からの入国者に対して、日本人であっても14日間の隔離とPCR検査の報告が義務付けられており、その費用は本人負担となっております。陰性の結果が出て自宅に帰るにしても公共交通機関は使えません。マイカーのない我が家では、成田空港から歩いて帰らなければならないのです、スーツケースを引きずりながら…!
大好きなハワイ旅行は、昨年はキャンセル、今年はまだまだこんな状態では行かれません。来年こそはと思いつつせめてハワイアン・ミュージックだけでもと、我が家のレコード・ライブラリーを物色すると、意外なほど出てきました。それらの中からお気に入りを紹介します。
まずは、オーソドックスな名曲の数々ですが101ストリングス・オーケストラがこれこそがハワイアンだと、ムードを盛り上げてくれます。
続いてはこんなCDもあったんだ、と思わせる珍しいものです。1928年から39年の戦前、昭和初期に録音された逸品です。新潟の寒村で生まれ育った私の両親の子供時代ですが、おそらくは聞いたことはないでしょうね、当時としてはハイカラ過ぎますので…。
戦後のやや落ち着いた時代に生まれた私でも、藤山一郎さん、藤原義江さん、岸井 明さんなどのトップクラスの歌手は今でも記憶に残る存在になっています。
時代は進んで、ドリフターズの一員であった高木ブーさんのアルバムです。コメディアンとしてよりウクレレ奏者としての肩書が有名です。
現代のウクレレ奏者として超有名なのが、ハワイ出身のジェイク・シマブクロさんです。完璧なハワイアンとは言えませんが、ウクレレの楽しさとディズニーの楽しさを共に叶えてくれる1枚です。
おとなのハワイアンとしてはこの1枚です。米国本土でクラシックのピアノを学び、地元ハワイで活躍している現役のピアニスト、レネ・パウロさん。ハワイアン・カクテルを片手に、ハワイの風を感じながら、ゆったりのんびりしたハワイアン・タイムの中で聴く、ラウンジ・ピアノは最高!
最後は本格的なハワイアン・アルバムです。2000年にハワイのグラミー賞と評される「ナ・ホク・ハノハノ・アワード」にノミネートされた当時12歳の超若手シンガー、アネライカラ二さん。
2000年のハワイ旅行でこのデビュー・アルバムを見つけて即購入。その透き通るような美しいファルセットに聞き惚れてしまいました。12歳とは思えないおとなの歌声は本格的なもので、例えれば、ワイキキのハレクラニ・ホテルの「ハウス・ウイズアウト・ア・キー」で演奏されるトラディショナル・ハワイアン・ソングそのものです。
デビューからもう20年以上が経ちましたが、来日公演を行ったり、新しいアルバムを発表したり、活発に演奏活動を行っているようです。新しいアルバムを買うためにも早くハワイに行きたい思いです。
ハワイへの渡航解禁は、昨年ホノルル・マラソンの開催を望んで日米水面下での交渉がされたようですが、感染拡大で実現されませんでした。おそらく今年も交渉が続けられているものと思います。様々な制約があるかと思いますがハワイ旅行解禁の第一歩となることを切に願いつつ、開催を望んでおります。
我が家のハワイは来年2022年9月を予定しております。19年にキャンセルとなってしまった、ANAのフライング・ホヌで飛び、ハレプナ・ワイキキ・バイ・ハレクラニに泊まる夫婦旅行の再チャレンジです。早く行きたいなぁ~…
『たかがハワイ、されどハワイ』20世紀最後のハワイ旅 [海外旅行]
4月も半ばになりましたがコロナが収束する気配は微塵もありません。その代わりに花粉症が随分と楽になりました。国内外を問わずに旅行を控えていることに変わりはありませんが…
20世紀最後のハワイは、1999年10月のマウイ島3泊5日の旅でした。この年は春にオアフ島に行きましたので半年ぶりです。そのお陰でたった3泊の節約旅になりました。
ANAの正規割引航空券GETを利用して、ホノルルからの離島運賃も含めて往復で72000円です。今では考えられない料金です。
この頃から機材はボーイングのB747ジャンボ機から一回り小振りなB767に変更になりましたが、機内サービスは変わりません。
ホノルルで乗り換えて西マウイのカパルア空港へ向かいます。海を見下ろす丘の中腹で、サトウキビ畑に囲まれた赤茶色の滑走路1本のシンプルな空港でした。
宿泊は「Sheraton Maui」ホテルで、オン・ザ・ビーチのリゾートホテルです。
到着するとベル・ボーイがそのままお部屋まで案内してくれてお部屋でのチェック・インです。
宿泊したお部屋は「3322」でガイドマップのちょうど中央、№3⃣の建物で黄色いマークのオーシャン・フロントのお部屋です。
お部屋からは裸足のままビーチへ行けます。解放感と快適さはワイキキのオン・ザ・ビーチのホテルとは比べ物になりません。中庭の芝生が足裏になんとやさしいことか!…
ホテルからは無料のシャトルバスが数系統ありラハイナ・コースを利用しての観光です。
この時の収穫は「BUBBA GUMP SHRIMP CO.」レストランです。
映画を思い出しながら頂いたエビは最高でした。その後、アラモアナ・ショッピングセンターにも出店されて飛んで行ったほどです。
ラハイナ・ストリートの「KIMO'S」レストラン、海の上に張り出ているテラス席での昼食です。
波しぶきがテーブルにもかかり、強烈な日差しと共に忘れられない思い出です。
ホテルからビーチ沿いに隣の「ウエスティン・マウイ・リゾート」にも歩いて行けます。
裸足感覚が忘れられません。
チェック・インをお部屋で行ったのと同様にチェック・アウトもお部屋で、テレビ画面で行いました。なんと便利な事でしょうか!
現地の新聞や観光スポットのチラシなどを持ち帰ります。荷物になりますが時間が経つほど思い出が積もった無料のお土産となります。
ANAの機内誌で映画プログラムのページです。時代(年代)も一緒に思い出とないます。
コロナで現在は県外をまたぐ移動も自粛要請されております。国内でこのような状態ですから海外へはいつになったら行ける事やら…?
ハワイへの行き方を忘れそうです…(涙)
『たかがハワイ、されどハワイ』初ANAで行く99年のハワイ旅 [海外旅行]
ANAが名古屋⇔ホノルルに続き成田⇔ホノルル便を就航させました。
待ちに待ってましたと言わんばかりに99年4月6日から4泊6日の旅をANA便で楽しんできました。
エコノミー・クラスですが運賃はなんと往復で49000円、当時は当然ながら燃油サーチャージ込みです。さらにキャンペーンとしてANA利用券5000円もありますので、実質44000円となります。
30年以上続く我が家のハワイ旅行の中で最安値の価格で、今さらですが驚かされます。
現代流行りのLCCではありませんので食事も申し分ありません。
ホノルル到着日の夕食は、いつしか格安の「ペリーズ・スモーギー」でいただくのが常となっております。
時差ぼけのある中では十分すぎるほどの量です。しかもお酒は持ち込みOKで、嬉しい限りです。
オアフ島内は4日間有効の「バス・パス」が大活躍、使用する月と日数をスクラッチするだけです。
ハワイでは毎度お馴染みのABCストアで購入できて、価格は公共機関なので税込みです。
「ワード」のファーマーズ・マーケットでプレート・ランチを購入して、「アラモアナ・ビーチパーク」でいただきました。ハワイの日差しの下ではプレート・ランチもご馳走となります。
「アロハ・タワー・マーケットプレイス」内の「ゴードン・ビアーシュ」は我が家のお気に入りです。
地ビールと共に頂く「ガーリック・フライズ」($4.50)は山盛りで絶品です。
パール・ハーバーで「戦艦ミズーリ号」と潜水艦「ボーフィン号」を見学。
実践で活躍した戦艦なのでその迫力とその不気味さには怖さを感じてしまうほどです。
前回同じパールハーバーで日本軍が撃沈した「アリゾナ祈念艦」を見学した時と同様に、日本人は我々だけで周りはアメリカ本土からの観光客と思われる方々ばかりです。
ホテルのお部屋に毎日朝刊が届けられます。気になる記事を持ち帰っていますが、今回はブロードウエイ・ミュージカル公演の宣伝ページです。
旅行期間中の天気や上映されている映画欄なども切り抜き、思い出として元帰っております…
『たかがハワイ、されどハワイ』海外旅行の醍醐味を味わった1998年のハワイ [海外旅行]
1998年9月8日~17日まで、我が家としては最長となる8泊10日のハワイ旅行でした。
旅行の醍醐味のひとつに無料航空券があります。努力してマイレージを貯めれば手に入るものなので醍醐味とは言えないかも知れませんが、国内と比べて海外は便数と座席数にかなりの制限がありますので、自分好みの便と日程がなかなか合いません。
今回はエコノミー・クラスですが夫婦ふたり分、コンチネンタル・ミクロネシア航空の無料航空券を利用させていただきました。利用できる便の都合で8泊10日になった次第です。
成田発の夕食と朝食です。日本食も意識されてありがたいです。
宿泊はこの時から、シェラトン・ワイキキ・ホテルです。前回のシェラトン・プリンセス・カイウラニ・ホテル予約時にシェラトンホテルズのメンバーズ登録をしており、チェックイン時にカード提示でアップグレードをしていただきました。
“オーシャンとダイヤモンド・ヘッド、どっちが良い?” と聞かれてすかさずに“ダイヤモンド・ヘッド”と答えると、26階のデラックス・ダイヤモンド・ヘッド・ビューのお部屋を用意してくれました。予約したのは低層階のシティー・ビューだったので、いきなり26階になりビックリです。しかも8泊もの連泊で…。個人予約のお陰でしょうね、ラッキー!!
無料航空券にプラスして最高クラスのお部屋に宿泊…、これこそが懐を痛めない旅行の醍醐味でしょうね。
26階のエレベーター・ホールとお部屋のラナイ(ベランダ)からの風景です。
シェラトン・ワイキキから徒歩で行ける「アメリカ陸軍博物館」です。入場は無料ですが、心付けとしての寄付を…
太平洋戦争で日本が負けたことを実感できます。
我が家にとってはお馴染みのアロハタワー、お目当ては「ゴードン・ビアーシュ・レストラン」です。ここは地ビールの元祖でしょうか。
夕食は焼肉の「カメリア 冬柏」でいただきました。韓国人の経営で食べ放題ですが、その種類と量に驚かされます。
「エッグスンシングス」での朝食は現在と違って行列もありませんでした。
「ホノルル美術館」です。
昼食はビーチウォーク通りの「神田 やぶそば」でいただき、手打ちのそばに大満足でした。
このビーチウォークには、日本人が経営する鮨、そば、イタリアンのお店が並んでおりましたが、現在はかなり様変わりをしてしまいました。
夜はお馴染み「チャックス・セラ―」です。
「ホノルル水族館」はワイキキの外れですが、ホテルから徒歩圏内です。
毎年9月に、ハワイ全島挙げての「アロハ・フェスティバル」が開催されます。期間中様々なイベントがあり、「アロハ・フラワー・パレード」もその一つです。アラモアナ・ビーチパークからカピオラ二・パークまで、約2時間半をかけてのパレードです。
各島から選出されたクイーンや、学校や企業などのグループによるマーチング・バンド、さらにその年のテーマで飾られた車などが登場します。この89年は東京大田区からお神輿が参加して盛り上がっておりました。
当時、シェフのサム・チョイ が料理コンテストで優勝して人気になっており、その優勝したシーフード料理を食べてきました。
こちらはアメリカ南部の郷土料理店「ディキシー」です。名物はドラム缶の蓋をお皿代わりにしてナナズなど南部の食材を豪快に手づかみでいただきます。
当然、食べきれませんので“ドギー・バッグ”としてお持ち帰りです。
ホノルル空港では運が良ければオープン・スペースでハワイアン・ショウが楽しめます。
後ろは日本に乗って帰るコンチネンタル航空機です。それにしても首に飾られているレイはどこで頂いたのでしょうか? 思い出せません…
旅行は未知との遭遇です。その場、その時でしか味わえない醍醐味があります。このような旅が再び体験できる日を心待ちにしております。
<次回は20世紀最後の1999年のハワイです。たかがハワイ、されどハワイです…>
『たかがハワイ、されどハワイ』初ハワイから90年代前半のハワイ旅 [海外旅行]
年に一度、夫婦ふたりのハワイ旅行を楽しみに生活をしております。
昨年(2020年)は9月に行く予定で早々と2月にエアラインとホテルを予約しましたが、7月末には飛行機の運休、8月に入るとホテルから休業、との連絡が入り断念!
今年(2021年)に期待を掛けましたがいまだにコロナの終息は見えず、今年もおそらくだめでしょうね。私たちには陰性証明書もワクチン接種証明書もありませんから…。
たかがハワイですが、されどハワイです。89年の我が家の初ハワイから2019年までに22回を数えます。家族の不幸などを除き、毎年のように旅行することが夫婦の楽しみになっております。
楽しかった思い出を辿って行きます、まずは初ハワイの89年です。
成田発夜10時ですがホノルルには出発日同日の朝(日本時間翌日早朝)に到着します。ツァーだとホテルのチャックインが出来る午後3時頃まで市内観光に連れ回されます。夜中のフライトで皆さん睡眠不足で冷房の効いたツアーバス車内はほとんどの方が眠りこけております。写真はツアー観光のひとつ、「パンチボールの丘」で墓所です。
チェックインを済ませば待ちに待った自由行動です。「キングス・ヴィレッジ」の儀衛兵の交代セレモニーで撮った記念写真です。
夕食はキングス・ヴィレッジ向いの「チャックス」でステーキをいただきました。写真のキングス・カットで約16ドル、30年前はこんなに安かったのですね。
値段で忘れられないのが「ペリーズ・スモーギー」のビュッフェです。ディナーでも当時約8ドルの安さです。味は値段に比例して大味のアメリカンですがアルコールは持ち込みOKなので、その後の旅行でも何回か利用しました。
このお店はかなり前に閉店して、2019年当時は平地になっていましたので今ごろはホテルなどが建っているかも知れません。
89年の初ハワイでハワイの魅力にとり付かれましたが、エコノミークラスの座席の窮屈さにうんざりして91年はJALのビジネスクラスを利用することにしました。しかもこの回から完全に個人旅行で、エアラインとホテルを直接予約しての旅です。
ホノルル空港で乗り換えてカウアイ島に向かいます。目的はエルヴィス・プレスリーの映画『ブルー・ハワイ』のロケ地巡りです。映画にも使われたホテル「ココ・パームス・リゾート」に宿泊して映画を振り返ります。今で言う聖地巡礼でしょうか。しかしこのホテルは翌92年夏のハリケーン・イニキで壊滅的な被害に遭い休業、その後再建されずに完全に無くなってしまいました。行っておいて良かったです。
オアフ島では「ダイアモンド・ヘッド」に登ったり「シー・ライフ・パーク」などを見学して楽しみました。
ワイキキの「達磨」で食事をしましたが、このお店もまだあるのでしょうか?
この91年のJALに対して良い思い出はありません。そのひどさに呆れてその後JALの利用を取りやめたほどです。以来、国内・海外を含めてJALには乗っておりません、乗る気がしないのです、今でも…。
当時ハワイにはまだANAが就航しておらず、ANAが飛ぶまでコンチネンタル・ミクロネシア航空を利用しました。
94年にはそのコンチ(現在はユナイテッドの傘下)のビジネス・ファースト・クラスを利用して、極上の空の旅を味わいました。
この年はワイキキ・ステイですが、日帰りで「マウイ島・ラハイナ」を散策しました。
オアフ島に戻り、太平洋戦争勃発の祈念艦がある「USS・アリゾナ・メモリアル」を訪問。
大流行となったアウトレットの「ワイケレ・ショッピング・センター」もまだグランド・オープン前でしたが、ザ・バス(市内バス)を乗り継いでその規模の大きさを実感してきました。
96年はコンチのエコノミー・クラス利用で、ワイキキは初めてシェラトン・プリンセス・カイウラニ・ホテルに宿泊しました。
ホテルはワイキキのど真ん中に位置しておりどこに行くにも便利です。
オアフ島には豊富なバスルートがありますので、ザ・バスが4日間利用できる「バス・パス」を購入して動き回りました。このパスは大変便利で近場のABCストアで購入できます。(現在は廃止されて、一往復分の料金でワンデイ・パスをバスの運転手から購入します)
「ビショップ・ミュージアム」や「アロハ・タワー」など定番観光地巡りです。
現在アロハタワーではレストランは残っておりますが、マーケットプレイスのショップは無くなり、大学のキャンパスとなっております。時計台のアロハタワーは従来通り登頂見学は可能です。
夜は、ビーチウォークの「にゅう・とうきょう・れすとらん」でちゃんこ鍋をいただきました。
ポン酢がなくて四つ切にした大量のレモンが提供されたことが記憶に残っております。
残念ながらこのお店もかなり前に閉店となり、現在は跡形もありません。
Tシャツと短パンなどの普段着で構わず、食べ物にも苦労せず、暖かい気候と自然に囲まれてのんびり過ごせるのがハワイです。
サラリーマン生活の中でハワイで鋭気と気力を養うことが習慣となっていきました。
たかがハワイ、されどハワイです…
<90年代後半へ続く>
古稀と『わが夢の街、ウィーン』 [海外旅行]
年明け早々、2月になると70歳を迎えます。古稀と呼ばれる高齢者に堂々となるのです。自分では考えられません、70歳だなんて…!
自分へのお祝い、ご褒美として海外旅行を企画しました。行き先は『わが夢の街、ウィーン』です。小さい時からウィーンに憧れて、大好きで、23年前に夫婦ふたりで初めてのヨーロッパとして旅をしております。
今回の企画は、70を超えると片道12時間を超すフライトは容易に出来なくなると考えて、長時間のフライト最後の旅として考えたものです。フロリダ・オーランドのディズニー・ワールドへ4回目のチャレンジや、美術館を巡るローマかフィレンツェへの初旅も候補に挙がりましたが、一度訪れて勝手がわかる地でもう一度のんびりとウィーンを味わいたい思いに駆られました。
旅の準備として少ない年金の中から月々2万円を積み立てることを2017年正月から始めました。4年間で100万円を積み立てる計画です。
順調に積み立てられましたが、コロナのおかげで飛行機は飛ばず、ヨーロッパ各国は都市封鎖が続いております。温かくなり花が咲きそろう4月か5月に訪問したかったのですが予約すらできません。
残念で堪りませんが前回1997年の旅を振り返り、思い出に浸りながら楽しむことにしました。
当時の写真アルバムからいくつか紹介します。まずは、≪はじめに≫と題された序文とアルバム表紙です。
続いて、いまでは珍しいIATAの航空券です。この時代はまだ、帰国便の72時間前までに予約確認をする必要がありました。今となっては何と懐かしいことか…
当時、ウィーンへは全日空とオーストリア航空のコードシェア便で、ウィーン経由パリ行きが飛んでおりました。
まだEU共通通貨のユーロが導入される前で、通貨はまだオーストリア・シリングでした。今となってはただの紙になってしまいましたが思い出のお金です。
最後に、ウィーン市立公園内のヨハン・シュトラウス像です。私たちが訪れた時は金ピカでしたが、少し前に知り合いの友人が訪れたときは真っ黒だったそうで、いまでもその理由は知りません。
アルバムをめくるだけで数えきれないほどの記憶が蘇ります。美術館に目覚めさせてくれたウィーン美術史美術館、“トリスタンとイゾルデ”が上演されたウィーン国立歌劇場、ホイリゲに行きながら歩いたベートーヴェンの小路、シェーンブルン宮殿に高校時代のペンパルの家が近くにあるベルベデーレ宮殿、ランチに良く通った海鮮の旨い“ノルトゼー”などなど、思い出すときりがありません。
コロナが収束して、これまでのように海外が自由に行き来できるのはいつになるのでしょうか。古稀を過ぎても長時間のフライトに耐えられる体力を維持せねばなりません。それには日々の健康が欠かせないでしょうね…
恒例の『ハワイ旅行』今年は中止! [海外旅行]
夫婦ふたりでのハワイ旅行を1989年から楽しんでおります。
2度目となった1991年からは年に一度、毎年の恒例行事となっております。これまでに家族の不幸などで行かれなかった年もありますが、通算25回目となる今年も2月に予約を入れました。
9月27日発で4泊6日の日程です。
宿泊は旧ワイキキ・パーク・ホテルを1年かけてリノヴェーションした“ハレプナ・ワイキキ・バイ・ハレクラニ”です。
予約はすべて完了、現地のANAバス・チケットも用意して出発を待つばかりです。
予約時点でコロナ・ウイルスの感染は少なくて、その後徐々に感染が拡大。9月になれば大丈夫だろうと、ほんの少しの希望を持っていましたが、7月19日付で予約したホテルからコロナの影響で休業が9月いっぱいまで延期となり、予約のキャンセルの連絡が入りました。
続けて8月になるとANAからも運休のお知らせが…
運休なので手数料なしで振り替えも、払い戻しもできますが、コロナの今後の様子が全く読めないために払い戻しをしました。
30年余りに渡り、夫婦の楽しみであったハワイが今年は完全になくなってしまいました。
飛行機も飛ばず…、ホテルも休業…、前代未聞の出来事となってしまいました。
年内は無理でも、来年いつになったらいけるのか、見当もつきません。
それでもハワイは引っ越しません、ハワイアン・スピリットで迎えてくれる日を心待ちにしましょう!…
『ANA フライング・ホヌ』に搭乗して [海外旅行]
結婚35周年の記念として9月末の一週間、ハワイ・オアフ島でのんびりしてきました。エアバス社の総2階建てジェット機A380を往復利用しての旅です。ANAでは外装に海がめをイメージした塗装を施して“フライング・ホヌ(空飛ぶ海がめ)”と呼ばれております。
このフライング・ホヌは塗装色の違う3機で運行されています。
それぞれにハワイ語で名前が付けられております。青色のLaniは海、緑色のKaiは空、赤色のLaは太陽を意味しているそうです。
私たち夫婦が搭乗したのは往復共に、笑顔が可愛いKaiくんでした。
客席はエコノミークラスのメインデッキ(1階席)で383席、アッパーデッキ(2階席)はファーストクラス8席、ビジネスクラス56席、プレミアムエコノミークラス73席の計137席で合計520席の超大型機です。
通常のジェット機2機分を1機にまとめた感じで、そばで見るとその大きさには驚かされます。
以前就航していたボーイング747、通称ジャンボ・ジェット機の2階席はまず1階に搭乗して機内のらせん階段を利用して2階に上がりましたが、このフライング・ホヌは、1階2階それぞれ別々のボーディング・ブリッジが設けられております。写真右上の黄色いジャバラが2階席用で、写真中央の機首側の黄色いジャバラが1階席用となっており、大人数でもスムーズに乗り降りができます。
今回は結婚記念旅行なので大奮発をして2階ビジネスクラスを利用しました。まず驚いたのが2階とは思えないほどの広さの空間があり、2階であることをまったく感じさせません。さらにエンジン音もジャンボ機と比べられないほど静かでおもわず「静かだねぇ~」と口にしたほどです。
テレビ・モニターは18インチのタッチパネル式で、機内でこの大きさは初めてで、さらに色の鮮やかさには目を見張りました。スタート画面は当然ながらハワイです!
タッチパネルですが、座席をオリジナル・ポジションのままでは画面に触れられません。シートを少し移動させてようやく届く距離なのです。ゆったり、のんびり、今回の旅行のテーマが機内でも十分に味わえます。
トイレに行ってまたまた驚かされました。床が和風の木目調なのです。
空飛ぶ個室で初体験でした。
“安全のしおり”はフライング・ホヌのキャラクターが案内してくれます。到着時のご案内も同様です。
機内で“Sky Map”を見るのが大好きです。今どこを飛行中なのか、位地は? スピードは? 高度は? 気温は? 時間は? などなど、飽きずに見続けております。その中で初めて目にした画面がありました。離着陸時に機首側から屋外の景色を映し出した映像は、国内線国際線を問わず、また機材を問わずに客席で見る事が出来ますが、このA380機では、尾翼に取り付けられたカメラからの映像も見られます!機首側の画面と尾翼側の画面です。
尾翼のカメラは外気にさらされても良いように堅牢で超小型なのでしょうか、機首側の鮮明な映像と比べると画面が多少荒くなっております。それでも面白い…、こんな映像は今まで見たことがありません!
ホノルル“ダニエル・K・イノウエ空港”でANAのサイン・ボードにはすべてホヌ(海がめ)マークが付いております。
ラウンジはハワイの陽光をふんだんに取り込み、広々として明るく爽やかです。
ラウンジからは搭乗するフライング・ホヌが目の真ん前で見る事ができます。
さらにはこのような停機マークまでも、見る事が出来ます。飛行機ファンにとっては垂涎ものですね。
それでは、ラウンジから2階ビジネスクラスへ直接搭乗して帰国のフライトを楽しみましょう。今後いつまた乗れるのか、わかりませんので…
変貌するワイキキ [海外旅行]
結婚35周年記念として9月末の一週間、オアフ島ワイキキでのんびりしてきました。1989年を皮切りにほとんど毎年のようにハワイを訪れております。空港からホテルへ向かうタクシーの車窓でワイキキの景観にビックリしてしまいました。近衛兵の交代セレモニーが楽しめた“キングス・ヴィレッジ”と、行くたびに我が家の冷蔵庫として利用していた“フード・パントリー”が無くなり、敷地が工事用のフェンスで囲まれていたのです!
昨年9月に訪れたときのタウン誌アロハストリートのワイキキ・マップです。 確かにフード・パントリーとキングス・ヴィレッジは明記されております。(〇マーク)
ところが、今年の同じアロハストリートでは完全に名前が消えております。
まず昔のキングス・ヴィレッジの外観とセレモニー・シーンです。
今はこんな状態です。何が建つのかしら?
続いてこれまでのフード・パントリーの入口付近です。
現在の様子です。
さらに隣接するビルの14階から見ると更地の状態がはっきりわかります。(右側がクヒオ通り) 大昔に隣にあった格安の食べ放題レストラン“ペリーズ・スモーギー”の敷地も一緒になり、かなり広い面積がわかります。(アロハストリートのマップの□マーク)
ホテルが建てられるほどの敷地です。20~30階建てなら2~3年はかかるのかしら?
ワイキキを散策しているともうひとつビックリ!…。世界一の売り上げを誇るという“丸亀うどん”が閉まっているのです。早朝から深夜までどの時間帯も行列ができる人気店です。
訪れたときは完全にクローズされて、ダウンタウンのお店を利用するように案内がありました。
朝食や小腹の空いた時に、安くて早くて便利で、オープン当初から利用してきました。(余談ですが、オープン当時は内税だったので簡単明瞭会計でしたが、数年前に外税になり値上がり感が生じました) ここ2,3年増え続けているアジア系の観光客(日本人は除いて)の我が物顔で大声の振る舞いに、眉をひそめる雰囲気があり何となく足が遠のいていましたが、閉店していると寂しいものです。
ウインドウの張り紙をよく見て安心しました。
9月16日(月)から11月の早い時期までリノベーションで休ませて頂くとのことです。次回のワイキキ訪問時には新装なったお店に行くことができます。楽しみです!…
ワイキキでは、リッツカールトンやトランプなど大ホテルが進出して、3年程前に“インターナショナル・マーケット・プレイス”が、ワイキキ最大のショッピング・モールとしてリニュアルオープンするなど年々変貌を続けております。今回さらなる変貌を感じさせる旅となりました。古き良きハワイはどこに行ってしまうのでしょうか?…