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ミュージカル『ラ・マンチャの男』日本初演50周年記念公演・帝国劇場 [オペラとミュージカル]

9月21日(月)、待ちに待ったミュージカル『ラ・マンチャの男 日本初演50周年記念公演』観劇の日です。

その前に日比谷シャンテで開催されている『松本白鸚とラ・マンチャの男 50周年展』を見てきました。

s-『ラ・マンチャの男 50周年展』日比谷シャンテ01.jpg

1969年の初演から今日に至るまでのステージ写真や、台本などが一堂に展示されており、ファンにとっては大興奮の展示会でした。私自身の歴史とも重なる思いで見てきました。まずは1969年(昭和44年)初演の様子と手元に残る半券です。

s-『ラ・マンチャの男 50周年展』日比谷シャンテ02.jpg

s-『ラ・マンチャの男 1969』帝国劇場・チケット.jpg

ブロードウエイ出演後の凱旋公演は名古屋で開催されて、その後東京でも行われました。1970年(昭和45年)のことです。

s-『ラ・マンチャの男 50周年展』日比谷シャンテ03.jpg

s-『ラ・マンチャの男 1970』名鉄ホール&日生劇場・チケット.jpg

なんと名古屋まで追っかけをしています。初演の公演を2度見たり、半券からは当時の興奮が伝わってきます。

その後の公演もパネルですべてが見られます。松本幸四郎を襲名した時も、脚本のデール・ワッサーマン氏からトニー賞のトロフィーを送られた時も…

s-『ラ・マンチャの男 50周年展』日比谷シャンテ04.jpg

このシャンテの会場には白鸚氏ご自身の手による画も展示されて、フォト・スポットとなっております。

s-『ラ・マンチャの男 50周年展』フォト・スポット01.jpg

s-『ラ・マンチャの男 50周年展』フォト・スポット02.jpg

ツーショットで撮れなかったのが残念です。

s-『ラ・マンチャの男 2019』帝国劇場・チラシ01.jpg

市川染五郎から松本幸四郎へ、さらには松本白鸚へと、三名跡を襲名しながら丸50年をかけた記念公演です。上演が発表されてから絶対に観劇するおもいで、7月に先行抽選予約を申し込み、第一希望の9月21日の昼の部のチケットが手に入りました。

なんと座席は前から2列目の中央です! 

s-『ラ・マンチャの男 2019』帝国劇場・チケット.jpg

演出の関係でオーケストラは舞台上にあがり、通常のオケピの場所には舞台セットがせり出して登場人物の出入りがあります。まさにラ・マンチャ ワールドが目の前で展開されるのです! 興奮しないではいられません。初演からこれまでこれほどま近で見たことはありません。ワクワクしながら帝国劇場へ…

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1階ロビーにはブロードウエイのポスターや、デール・ワッサーマン氏から送られたトニー賞のトロフィーや初演時のレコード売り上げ100万枚を記念したゴールドディスクなど貴重品も展示されておりました。

写真はブロードウエイのポスターです、左下白地の中に“SOMEGORO ICHIKAWA”の名前があります。

s-『ラ・マンチャの男 2019』帝国劇場・ブロードウエイ初演ポスター.jpg

50年に亘る期間にはいろいろなアクシデントもあったことと思われます。この50周年記念中にも台風19号が関東地方を直撃して、2公演が中止となってしまいました。そのお陰で、9月19日夜の部に予定された通算1300回目の記念公演が9月21日昼の部、すなわち私たち夫婦の観劇日に延期となりました。中止となった公演の入場券をお持ちのお客様や台風の被害に遭われた方々には申し訳ありませんが、1300回目の記念公演を大興奮で楽しませていただきました。

s-『ラ・マンチャの男 2019』帝国劇場・チラシ02.jpg

1300回目の公演の感想をひと言…

初演から今日に至るまで両手の指では数えきれないほど多くの舞台と様々な俳優さんたちの演技を拝見させていただきました。その中でまずサンチョ・パンサ役は初演時の小鹿 番さんが最高です。小柄で太っちょのサンチョがどうしても忘れられません、“放浪記”の菊田一夫役もしかり…です。もし演劇の殿堂なるものがあれば両方の役を称えて殿堂入りをして欲しいほどです。

アルドンザ役は宝塚出身に関わらずに多くの女優さんが挑戦しておりますが、ナンバーワンを選ぶとすれば今回の瀬奈じゅんさんでしょう。瀬奈さんについては無知でおそらく宝塚出身だろうと思って劇場に出向いたほどです。余談ですが私の宝塚は“ベルばら”が空前の大ヒットしてからチケットの入手が困難になり、そこで途絶えております。スータンこと真帆しぶきさんのサヨナラ公演“ビバ・ボサノバ”を体験して、芸能人でエビちゃんと言えば今でも大原ますみと答える世代なのです。ツレちゃんやオトミを知っていても瀬奈じゅんを知らない年寄りでもあります。そんな私が今回のアルドンザに涙してしまいました。歌唱力もダンスも目を見張るほどの実力にはからだを乗り出して見入ってしまいました。そんな中で劇中アルドンザから地下牢の女囚に戻り、ショールをかむりひとり静かに座りたたずむシーンが何回かあります。静けさの中にその凛とした姿に強い意志があることを感じてしまい、“勧進帳”の義経を思い出してしまいました。1000回以上も“勧進帳”の舞台を務めている松本白鸚さんの演出だからこそなのでしょうか。

その松本白鸚さんの1300回目のドン・キホーテ役にはオープニングから大興奮してしまいました。私の記憶するところでは、カーテンコールで“見果てぬ夢”を“The Impossible Dream”として原語で披露し始めたころから楽曲の歌い方が大きく変化したと思われます。今回それを実感したのが“ドルシネア”です。アルドンザに自分の思い姫ドルシネアだと自身の思いを告げるナンバーですが、間の取り方やテンポなど完全に白鸚節に変換していることが聴き取れます。1300回も舞台で歌い込んでいるからこそできる技なのでしょうね。お見事としか言いようがありません。セリフ回しや立ち振る舞いなど白鸚さんならではの所作が随所に現れて、時には歌舞伎をも感じさせ、これこそが老練された円熟味と言うべきでしょうか。ともかく、大興奮、大感激した舞台でした。

1300回記念の特別カーテンコールも観客全員がスタンディング・オベーション、当然です!!

翌9月22日のスポーツ各紙に掲載された記事をまとめてみました。。

s-『ラ・マンチャの男 2019』1300回達成公演・スポーツ紙各種.jpg

これまで3~4年おきに上演されてきたので次回は80歳を超えた年齢です。今回で最後でしょうか?でも、次回を期待したいです!…

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六代目市川染五郎と共に歩んだミュージカル人生 [オペラとミュージカル]

10月になりました。今月の我が家のメイン・イヴェントは21日の帝国劇場『ラ・マンチャの男』の観劇です。

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s-松本白鴎『ラ・マンチャの男 2019』帝国劇場・チラシ.jpg

初演から50周年を迎える記念公演で、1969年当時私はまだ18歳の若造でした。大興奮した舞台で、以来再演の舞台をどれほど観たことか!…

s-市川染五郎ラ・マンチャの男 1969』プログラム.jpg

手元に残るチケットの半券を見ると大興奮した様子がうかがえます。同じ月に2度観劇しているのです!

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s-市川染五郎『ラ・マンチャの男 1969』ドン・キホーテとサンチョ.jpg

あれから50年と半年、染五郎から幸四郎を経て二代目松本白鸚を襲名しての舞台です。期待しない理由などありません。

思い起こすと、私の人生でステージ・ミュージカルの歴史は市川染五郎さんと共に歩んできた、と言っても過言ではありません。きっかけは1965年、14歳の中学生で観た『王様と私』です。ステージ・ミュージカルの面白さを教わりました。

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s-市川染五郎『王様と私 1965』プログラム.jpg

2年後の1967年秋16歳の高校生に、民族や家族、さらには人生の素晴らしさを教えてくれたのが『屋根の上のヴァイオリン弾き』です。

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シャイな仕立て屋・モーテル役を見事に演じたのが市川染五郎さんでした。頑固なシャムの王様でもなく、歌舞伎の演技でもなく、必死に結婚できる喜びを演じておりました。

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さらに2年後の1969年に『ラ・マンチャの男』と出会うこととなります。何もない劇場の空間が思いもよらない場面へと転換する様は、18歳の若造に考えられないほどの刺激が与えられました。しかもミュージカル仕立てで一人が何役も演じる…、頭の中でイマジネーションの世界が爆発する見事な舞台です。

六代目市川染五郎から九代目松本幸四郎へ、さらには二代目松本白鸚へと…。それぞれの名跡でのラ・マンチャが鑑賞できるのです。なんと言う幸せでしょうか。まもなく著書も発売になります。

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公演に合わせて、帝劇近くの日比谷シャンテで50周年記念特別展が開催されております。初演からこれまでのステージを写真で振り返り、今回の台本も展示されて、おまけにフォト・スポットまで用意されているそうです。観劇の前に立ち寄り、ラ・マンチャの興奮を倍増させるつもりです。

これら『王様』『屋根』『ラ・マンチャ』が私のMusical Best3です。50~60年代の少年期の私にとてつもなく大きな贈り物を頂いた感じで、半世紀が経った今でもその興奮に包まれております。三作品に出演された六代目市川染五郎さんに拍手を送りつつ、二代目松本白鸚さんの元気なご活躍を心から願うばかりです。

これからの舞台を楽しむためには私も健康でいなければなりませんね!…

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ミュージカル『The King and I 王様と私』東急シアターオーブ [オペラとミュージカル]

ミュージカル『王様と私』がブロードウェイで初演された1951年は私の生まれた年でもあります。いまからもう68年も昔のことです。日本初演は1965年4月に東宝の制作で大阪・梅田コマ劇場で上演されました。越路吹雪と市川染五郎(当時)の異色コンビが話題となり大絶賛を浴びて、その年の12月に東京宝塚劇場で凱旋公演が行われて、暮れも押し迫った12月27日千秋楽の舞台を見せていただきました。当時中学3年14歳でした。

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この舞台でステージ・ミュージカルの魅力にとり付かれてしまいました。それから半世紀が過ぎた現在、68歳になる年寄りが再び感動のステージと巡り合いました。ニューヨーク・ブロードウェイ、ロンドン・ウエストエンドと、ミュージカルの二大聖地を経て、その最新版が東京で上演されたのです。

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劇場は渋谷の新開発に伴って完成した“渋谷ヒカリエ11階・東急シアターオーブ”です。地上60mから大都会渋谷の展望も楽しめる斬新な劇場です。

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11階ホールから劇場エントランスへは専用エスカレーターで向かいます。

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7月29日の13:00開演の部を観劇してきました。

チケットは一般前売りに先駆けて2月にネットで行われた「抽選予約」を申し込みましたが、確保できたのは3階席で、いわゆるバルコニー天井桟敷席です。席が取れただけましで、当然ながら全席完売で、当日には立見席が販売されておりました。

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序曲が始まってすぐに音響の優しさが感じられました。客席全体を包み込むような自然な音響設計なのです。昨今、例えば帝劇の『レ・ミゼラブル』の公演などはロック・コンサートのような大音響をガンガン鳴り響かせて、さらに歌手の歌声には、どうだ参ったかと言わんばかりにエコーが掛かっており、それはそれで楽しさがありますが、今回の様に自然な音響の中でミュージカルを観るのは久しぶりで、嬉しくなってしまいました。

その中でも女声には呆然としてしまいました。主役のケリー・オハラ、タプティム役のキャム・クナリー、チャン夫人役のセザラー・ボナー、素晴らしい歌声で3階席まで綺麗に響き渡り、まるで良質のオペラを聴いているようです。ケリー・オハラはメトロポリタン・オペラのステージにも出演する正当なソプラノ歌手なので当然ですが、初めて聴くほかのおふたりにも心を奪われてしまいました。子供の時から聞き覚えのある名曲がオペラのアリアのようで胸に迫り、大興奮状態でした!…

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さらに特筆すべきは、ケリー・オハラのセリフです。英国から来た家庭教師役なので、正確なキングス・イングリッシュで発音されております。(私は素人なので100%断言はできませんが…) これほど綺麗な英語は、かなり前にシンガポールを旅行した時に、TVのニュース番組で聞いた女性アナウンサーの発音以来ではないでしょうか…。

英語の発音は王様役の渡辺 謙もさすがです。シャム語訛りのブロークン・イングリッシュでケリー・オハラと渡り合っているのです。かなり苦労をされたことでしょう。思い起こすと日本初演の市川染五郎が松本幸四郎を襲名してから、イギリスで一か月に及ぶ国内ツアーで王様を演じて絶賛されたことがありました。この時も大変だったことでしょうね、観たかったなぁ~。あらためて原語上演の楽しさ、嬉しさを存分に味わうことが出来ました、感無量です。 (余談ですが洋画は字幕版派です)

日本ではキャストを替えて数多く上演されて多数の舞台を観てきましたが、今回ほど作品の持つメッセージを感じたことはありません。14のガキから68のシニアとなり、人生の年輪を積み重ねたせいでしょうか? 考えさせられることしきりでした。性差の問題を提起したり、意見の相違は対話で解決せよとか、現代この時代でも問題になっている多種多様なメッセージが発信されています。単に異民族間の和解と融合を面白おかしく描いているわけではなかったのです。ミュージカルの最高傑作と呼ばれる所以でしょうか。

日本初演では、ステージ・ミュージカルの楽しさを教わり、今回の来日公演ではその素晴らしさを学びました。やっぱりミュージカルって最高!、感謝あるのみです…

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ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』日本初演50周年記念公演 [オペラとミュージカル]

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ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』を観てきました。(12月18日・日生劇場)

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日本初演50周年記念公演ですが、実はその初演の舞台を私は観ております。

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半世紀50年も昔ですが、その間が永かったのか短かったのかよくわかりません。当時私は16歳の高校1年生。手元に半券が2枚残っていますが誰と行ったのか覚えておりません。ただ、ニキビ面の男の子に何かしら心に残るものがあったことは確かです。後に再演される都度足を運んだことは記憶に残っているのですから。

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ただ、主役のテヴィエを演じる森繁久彌さんの存在が大きすぎて、その後の西田敏行さんや上条恒彦さんのテヴィエは見ておりません。21世紀になり、その役は市村正親さんに引き継がれて、私は06年2月に市村テヴィエに初めて接する機会に恵まれました。

そして今回、日本初演50周年記念として約10年振りにアナテフカ村を訪問したわけです。1年前に制作が発表されて、是が非でも観たかった舞台です。

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約10年振りに訪れたアナテフカ村は驚くほど変貌していました。演出も美術も振り付けも一新されております。それでも村は昔ながらの温かさに満ち溢れています。ここまでメリハリが効いてスピーディな展開は記憶にありません。

66歳となった現在、市村テヴィエの一挙手、一投足、一言ごとに大笑いしながらも、溢れる涙にハンカチは手から離れることはありませんでした。きっと泣くぞ、と覚悟をして行ったものの想像以上でした。市村テヴィエ、お見事です、ブラヴォー!…です。妻役ゴールデを演じた鳳蘭さん、宝塚時代よりも声量が増したように思えて驚かされてしまいました。ほぼ同世代でチョッピリお姉さんですが、たくさんの元気を頂いてしまいました。(余談ですが、ツレちゃんの宝塚時代、私は相手役の可憐な娘役エビちゃんこと大原ますみさんの大ファンで、我が家ではエビちゃんと言えば某モデルさんではなくて、大原ますみさんを指す言葉となっています…)

特筆すべきはアンサンブルの素晴らしさです。ひとりひとりがアナテフカ村民を見事に演じております。特にダンスシーンは、凝りに凝った難しい振り付けではないものの、群舞として合わせることの難しさが要求されたのではないでしょうか。相当な稽古、レッスンを積んだことでしょう。努力の成果が客席から見てとれました。

帝劇の初アナテフカ村から、50年後の日生アナテフカ村まで訪れることができてこんな幸せはありません。民族や宗教で世界が分断されようとしている現実の中、この作品の持つ有意義さをあらためて感じさせる時間でもありました。感動的な素晴らしいステージに、カーテンコールではスタンディング・オベーションで応えたほどです。この年齢となり、次回アナテフカ村にはいつ行けるのかわかりませんが、行けることを信じてこれからの人生を楽しみましょう。人生に乾杯!…

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入場券の半券で歴史と立ち会う [オペラとミュージカル]

ステージ・ミュージカルの面白さを知ったのはもう50年以上も昔のことです。昭和40年(1965)1月、中学1年生でまだ13歳の時にひとりで、日比谷・芸術座での『サウンド・オブ・ミュージック』を観たのがきっかけです。

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誕生日を迎えて14歳になったその年の暮れに、東京宝塚劇場で『王様と私』の千秋楽を観劇します。昭和40年(1965)12月27日のことです。

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越路吹雪と市川染五郎(現・九代目松本幸四郎)の共演で、私にとって染五郎とは歌舞伎役者ではなくてミュージカル俳優として運命的な出会いとなりました。

その後昭和42年(1967)9月12日に帝国劇場で『屋根の上のヴァイオリン弾き』を観劇。

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市川染五郎は仕立て屋モーテル役を演じ、歌いました。

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この初演から今年で50年を迎えて来月記念公演が東京で上演されます。もちろん私も見に行きますが、50年の年月はアッと言う間ですね。

さらにセンセーショナルなステージが『ラ・マンチャの男』、初演は同じく帝国劇場で昭和44年(1969)です。4月6日、18歳で観ております。s-1969.04.06 ラ・マンチャの男 01.jpg

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九代目松本幸四郎を襲名後も再演が続いております。

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私がそれらの舞台に魅せられてから半世紀、来年(2018)1月には九代目松本幸四郎から二代目松本白鸚を襲名することとなりました。同時に長男の現・市川染五郎(七代目)が十代目松本幸四郎に、染五郎の長男・四代目松本金太郎が八代目市川染五郎を、それぞれ襲名することとなり、親・子・孫の三代、堂々の襲名披露が行われます。親と子、二代の襲名は数ありますが、三代同時襲名となると中々ありません。染五郎から幸四郎へ、そして白鸚へと、その舞台・藝に接することができる事に喜び以外何もありません。人生に、生きていることに、感謝です。大好きなミュージカルの入場券の半券を辿って歴史に立ち会えるのです。

さらにもうひとつ大きな歴史となることがあります。私が17歳高校3年生の春、ロンドン・ミュージカルの『オリバー!』の引っ越し公演が帝国劇場で行われました。

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昭和43年(1968)5月5日、子供の日が初日でした。この日帝劇入口には、道路際から緋毛氈が敷き詰められおりました。今で言う“レッドカーペット”です。初日だからなのかなぁ~、と思いつつその上を歩いて入場しました。

2階席での観劇後ロビーに出ると人だかりがしており、ミーハーの私は人ごみの中に進むと何やらカメラマンが写真を撮っておりました。その時の写真が公演後半に再編集されたプログラム(パンフレット)に掲載されております。

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初日の舞台を、現皇太子殿下の浩宮徳仁親王が観劇されていたのです。プロデューサーのドナルド・オルベリー夫妻を後ろに、ステージ衣装でオリバー役のダリル・グレイザーとジョン・マークと握手をされております。なるちゃんと呼ばれて親しまれていた半ズボン姿の浩宮様は当時8歳です。私の目の前におられた小さな少年が、再来年(2019)4月に天皇に即位されます。50年の年月が大きな歴史を刻み、入場券の半券から様々な歴史に立ち会えるのです。

興味を抱くとのめり込んでしまう私です、この『オリバー!』も千秋楽を含み4回観劇した記録が残っています。

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年をとってもこのミーハーさが元気の源なのでしょうか…?




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ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』50周年の歴史 [オペラとミュージカル]

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昭和42年(1967年)9月12日、私がミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』と出会った日です。日本初演となる公演で私はまだ16歳高校2年生の秋で、それから丸々50年が経ちその記念公演が12月に催されます。

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制作発表も行われました。

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中学生の時からオペラやミュージカルに興味を持ち、ミュージカルにおいては様々な日本初演の舞台に接しております。中でも『王様と私』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『ラ・マンチャの男』が私のお気に入りで、『レ・ミゼラブル』や『ミスサイゴン』へと続き、現在でもできる限り観劇を楽しんでおります。手元にある『屋根の上のヴァイオリン弾き』を紹介します。まずはパンフレット(公演プログラム)の数々です。

s-『屋根の上のヴァイオリン弾き』パンフレットの数々.jpg

続いてチケットの一部です。

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s-『屋根の上のヴァイオリン弾き』チケット 2006.02.21日生劇場.jpg

レコードは4種類あります。まずは50年前に帝劇の舞台を観てから購入したオリジナル・ブロードウエイ・キャスト盤です。

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ノーマン・ジェイソン監督の映画を見てサントラ盤を購入。

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1977年10月に名古屋・中日劇場で収録された実況録音盤、LPレコード3枚組となっております。

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最新盤としては、昨年2016年にブロードウエイでリバイバル上演されたニューブロードウエイ・キャストによるCDです。

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12月の50周年記念公演は、18日の月曜日のチケットをすでに購入してあります。1階席前から6列目の中央で今からとても興奮しております。初演の舞台の演出や振り付けの一部がまだ脳裏に焼き付いております。役者は変わっても作品そのものが素晴らしいので、何回観ても飽きることはありません。生の舞台の醍醐味をはやく味わいたいものです…

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わが青春のテノール『ニコライ・ゲッダ』 [オペラとミュージカル]

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新聞の片隅に小さな訃報が載りました。(2月12日 朝日新聞)

たった8行の小さな小さな記事ですが、私にとっては重大事件です。ニコライ・ゲッダ(Nicolai Gedda)は私の青春時代を鮮やかに彩ってくれたテノールです。

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生まれて初めて買ったオペラのレコードはプッチーニの『ラ・ボエーム』で、15歳高校一年生の時でした。ミルレラ・フレーニのミミにロドルフォがニコライ・ゲッダです。

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アナログLPレコード2枚組で豪華なBOXに入って、50年前で4000円しました。この演奏は大好きで今ではCDに入れて聴いております。

解説書に録音風景とゲッダの写真がありますので紹介します。

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当時私は同い年のウィーンの女の子と文通をしており、16歳の誕生日にモーツアルトの『魔笛』のレコードをプレゼントされました。

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指揮はオットー・クレンペラーで、ゲッダがタミーノを歌っております。

昔は軽量の封書でも、ウィーンまで航空便で1週間くらいかかりました。このレコードは南回りの船便で一か月を超える長旅をしてきました。荷物室など冷房が効いているわけではありませんので、我が家に到着した時レコードはクナクナに反り返っており、聴ける状態ではありませんでした。大量の新聞紙で挟み、大きな本で重しをして一か月、ようやくレコード針が飛ばないくらい平たくなりました。半世紀が経っても忘れられない思い出です。当然ですが今はCDに入れてあります。

ニコライ・ゲッダは素直で優しい歌声です。ルチアーノ・パヴァロッティやジュゼッペ・ディ・ステファーノなど強烈なインパクトがあるわけではありません。それが故にいろいろな役柄を歌いこなせるのだと思います。人並み外れた声域も見事で、安心して聴いていられます。

我が家のオペラ・ライブラリーも徐々に増えてゲッダのアルバムとしては、

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『椿姫』のアルフレードに『カルメン』のドン・ホセ、

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マリア・カラスとの共演は『蝶々夫人』のピンカートンもあります。指揮はカラヤンです。

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録音はすべて50年代から60年代で、私が生まれて間もなくから小学生の時代です。オペラの入門編と言えるべき名作ばかりですが、今でも聴いているお気に入りです。クレンペラーやカラヤン、カラスにパヴァロッティ、ディ・ステファーノ、みなさんすでに次の世界へと引っ越しをされており、ゲッダも逝ってしまいました。寂しい限りですが“録音”が残っております。我が家のオペラ・ハウス(?)でこれからも楽しむつもりです。

ひとつ大変なことに気が付きました、現在我が家にいるマリオ・カヴァラドッシとカラフ王子がゲッダではありません。無性にゲッダの『トスカ』と『トゥーランドット』が聴きたくなりました。早速買いに行きましょう…!

子供の時にオペラの楽しさを教えてくれて、その後の人生を豊かにしてくれたニコライ・ゲッダに感謝しております。ご冥福を祈るばかりです…

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東宝ミュージカル 2017 [オペラとミュージカル]

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写真はミュージカル『ミス・サイゴン』を上演中の帝国劇場前です。ミュージカルの舞台は中学生から、オペラの舞台は高校生になってから、それぞれ親しみいまだに楽しんでおります。劇団四季のミュージカルや海外からの訪日公演などはない時代で、東宝が上演する翻訳舞台だけがブロードウェイ・ミュージカルとの接点でした。

東宝が制作した日本初のブロードウェイ・ミュージカルは1963年の『マイ・フェア・レディ』で、キャストを替えていまだに上演される大ヒットミュージカルですが、残念ながら当時私は幼くてその舞台は観ておりません。その後、東宝は続々とブロードウェイ・ミュージカルを翻訳上演します。中学生になった私は、『サウンド・オブ・ミュージック』『王様と私』『心を繋ぐ6ペンス』『屋根の上のヴァイオリン弾き』や『ラ・マンチャの男』などなど日本初演の舞台を味わい、ミュージカルの醍醐味に浸る事となります。

多くはお堀端の帝国劇場での上演で、新しく建て替えられて今年で50年になります。戦前に建てられた旧帝劇は全く知りません。華々しく開場した今の帝劇で、杮落としの『東宝歌舞伎』や『風と共に去りぬ』の舞台も記憶に残っております。現在上演中のミュージカル『ミス・サイゴン』も50周年記念としての公演です。日本のミュージカル界に大きな功績を遺す“東宝”が、来年2017年に上演するミュージカルのラインナップが発表されました。一部を紹介します。

まずは4月の日生劇場は市村正親・主演で『紳士のための愛と殺人の手引き』です。

s-2017年04月 『紳士のための愛と殺人の手引き』日生劇場.jpg

5月から7月は帝劇で『レ・ミゼラブル』日本初演30周年記念公演です。

s-2017年05~07月 『レ・ミゼラブル』01帝劇.jpg

s-2017年05~07月 『レ・ミゼラブル』02帝劇.jpg

続く7月から8月も帝劇でキャロル・キングの半生を描く『Beautiful』です。

s-2017年07~08月 『Beautiful』帝劇.jpg

12月は日本初演50周年記念として『屋根の上のヴァイオリン弾き』が日生劇場で再演されます。

s-2017年12月 『屋根の上のヴァイオリン弾き』日生劇場.jpg

このチラシを手にした時、真っ先に“50周年”の文字が目に飛び込みました。もう50年か…、しみじみと感じてしまいました。昭和42年(1967年)9月日本初演のステージに高校2年生で出会い、その感動がまざまざと思い出されました。

s-1967年(昭和42年)『屋根の上のヴァイオリン弾き』チケット・帝劇.jpg

s-1967年(昭和42年)『屋根の上のヴァイオリン弾き』パンフレット表紙・帝劇.jpg

“東宝設立35周年記念公演”と銘打った公演でした。チケットの半券やパンフレットが手元に残っております。その後も、森繁久彌のテヴィェを何回観たことか…

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来年50周年として再びこの名作に出会えることに心躍ります。あと1年後、来年のことを言うと鬼が笑うかも知れませんが楽しみです。それまでまずは健康第一かな?…


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渡辺謙 ミュージカル『王様と私』CD [オペラとミュージカル]

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渡辺謙さんが出演したブロードウエイ・ミュージカル『王様と私』のCDを購入しました。初のミュージカルで、しかもトニー賞主演男優賞にノミネートされる、など昨年春に多いに話題になったステージのアルバムです。

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ミュージカル『王様と私』は、私が生まれた1951年にブロードウエイで初演されて、55年に映画化、日本での上演は65年、私が14歳の中学生の時でした。私にステージ・ミュージカルの楽しさ、面白さを存分に知らしめた思い出の作品です。

s-ミュージカル『王様と私』1965年 越路吹雪&市川染五郎(現・幸四郎)パンフレット.jpg

アンナ・レオノウエンズ役に越路吹雪、王様役に市川染五郎(現・幸四郎) が演じました。

s-ミュージカル『王様と私』1965年 越路吹雪&市川染五郎(現・幸四郎)チケット.jpg

当時、観劇後に購入したのが64年夏にニューヨーク・リンカーン・センターで上演されたキャストによるLPレコード盤で、日本では65年に発売されました。

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期せずして、それから半世紀・50年の年月が経って同じリンカーン・センターで上演されたキャスト盤CDを手に入れたわけです。 ジャケットのトップに“THE 2015 BROADWAY CAST RECORDING”とあります。この最新録音盤を聴くとまず楽曲のアレンジがそれまでのものと全く違っている事に気がつきます。従来の作品をそのまま再現するのではなくて、時代に合せて新しい作品に仕上げている事が感じられます。さらに、渡辺謙さんをはじめ、東洋人役はアジア人の役者さんが実際に演じている事が聴いてとれます。実際に現地ブロードウエイでは、主役、脇役に限らず役柄に合せて各国の役者さんが活躍する事が主流になっているようです。日本人の出演がこれからはさらに期待できそうです。

キャストの一部を紹介します。隣国からの使者ルン・ター役にコンラッド・リタモラ(日本初演・立川澄人) に、その恋人タプティム役にアシュレイ・パーク(同・淀 かほる)。アシュレイ・パークはトニー賞でミュージカル助演女優賞を受賞。

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王様の第一夫人・ティアン王妃役にラシー・アン・マイルズ(同・南 美江)、

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チュラロンコーン王子役にジョン・ヴィクター・コルプス(同・岡崎友紀)、写真手前、

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王子、王女の子どもたちまで東洋系の子役さんが選ばれております。

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この2015年版は、トニー賞ミュージカル・リバイバル作品賞、主役のアンナ・リオノウエンズ役のケリー・オハラがミュージカル主演女優賞、さらにミュージカル衣装デザイン賞を受賞しております。実際のステージが、50年前の日本初演版とどのように違うのかぜひ拝見したいものです。

s-渡辺謙 ミュージカル『王様と私2015』CD・写真01.jpg

舞台の素晴らしさは、生の人間が目の前で演じてくれる事。 一生懸命に演じてくれるほど、見ている私はウルウルしてしまいます。私をウルウルにさせるステージ、早くなにか観たいなぁ~!‥  

 

 


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ミュージカル『ラ・マンチャの男』帝国劇場 千秋楽を観る [オペラとミュージカル]

s-ラ・マンチャの男2015 パンフレット.jpg

10月27日、日比谷の帝国劇場でミュージカル『ラ・マンチャの男』を観てきました。s-ラ・マンチャの男2015 帝劇外観.jpgs-ラ・マンチャの男2015 帝劇千秋楽.jpg

千秋楽でもあり、満員の客席は期待と興奮で賑わっている事が感じられます。普段、平日の昼の部ですと、ほとんどが女性客で埋め尽くされておりますが、この日は私と同年齢かそれ以上の年齢と思われる男性客がかなり多く見受けられて、多少めずらしさと異様ささえ感じてしまう程でした。私と同様に、幸四郎のラ・マンチャに魅せられたファンの方々だと思われます。

s-ラ・マンチャの男2015 チケット・千秋楽.jpg

日本初演は1969年4月、私が18歳の時で市川染五郎の時代です。翌年ブロードウエイの舞台に出演、さらに松本幸四郎を襲名して現在に至り、46年の年月をひとりの役者が主役を演じ続けております。ブロードウエイのステージを除いて、何回この舞台を観賞したか、数え切れません。地下牢という密室で様々なシーンが展開されて、劇場の何もない空間がイマジネーションの世界へと導かれます。“『ラ・マンチャの男』には、すべて(のおもしろさ)がある!”との英語評に納得です。劇場内と外壁に大々的に宣伝されておりました。

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カーテンコールは当然のようにお客様のオール・スタンディングで、現在の帝国劇場が来年で50周年を迎え、ラ・マンチャも劇場と同じような歴史を持っていることが幸四郎のスピーチで報告されました。これからも帝劇と共にラ・マンチャも歩み続けたいとの希望が述べられると、客席からは熱狂的な拍手が贈られました。出演者全員で劇中歌『見果てぬ夢』が合唱されて、極め付きは幸四郎による英語バージョンのソロです。歌舞伎公演ではないために、屋号ではなくて“ラ・マンチャ!”の掛け声が客席から飛び交う、一種独特な熱狂を存分に味わう事ができました。

s-ラ・マンチャの男1969 スチール写真 撮影:篠山紀信.jpg

1969年の初演時に撮られたスチール写真です。撮影は篠山紀信氏で、46年を経て再び脚光を浴びている一枚です。

私の座席のまん前に高校2,3年生と思われる女子生徒がひとりで観劇しておりました。学校の制服姿でカバンを手にしておりましたので、午前中に授業が終わり観劇にきたのかも知れません。演劇部に所属か、大のミュージカル・ファンなのでしょうか、鮮やかな朱色のオペラ・グラスで熱心に観ておりました。ちょうど46年前に私が初めて観た年齢に似ております。彼女がどのような感動を得たのかわかりませんが、彼女の演劇史に大きなポイントを残したことに間違いはないでしょう。

私はこの年齢になり、劇中のアロンソ・キハーノ=ドン・キホーテの行動が、気違いではなくて現代の認知症ではないかと初めて気がつきました。18歳当時では考えられなかったことです。亡くなった母も、義母も現在認知症を患っております。年明け早々65歳になる私もドン・キホーテに近づいているのでしょうか。怖いようでもあり、楽しいようでもあり、複雑な心境です。

初演から比べると歌唱法も変わり円熟した幸四郎のラ・マンチャ、次回はいつ観られるのでしょうか。今から楽しみです…

 


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