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去りゆく昭和には、素晴らしい想い出が… [演劇・舞台]

  年号が平成になって早いもので、来年で四半世紀になろうとしています。                           この夏タレントさんの訃報が相次ぎ、昭和がますます遠くになっていくようです。                       6月15日にザ・ピーナッツのお姉さん・伊藤エミさんが70歳で死去、同じ28日に小野ヤスシさんが72歳で、翌日29日には地井武男さんが70歳で、7月9日には山田五十鈴さんが95歳で亡くなられました。特にザ・ピーナッツとベルさんこと山田五十鈴さんは昭和を代表する芸能人で、大好きです。ザ・ピーナッツを越える歌声のデュオはいまだに現れません。日本のみならず、世界で認められた実力があります。                                                          s-The_Peanuts03.jpg 

小学生の時に見た映画『モスラ』やTVの『シャボン玉ホリデー』は忘れられない思い出です。           s-The_Peanuts Mothra.jpgs-ザ・ピーナッツ:シャボン玉ホリデー01.jpgs-ザ・ピーナッツ:シャボン玉ホリデー02.jpg                     

現代のアイドルは、大人数でヴィジュアルで見せるだけでまともに歌えるひとがいないように感じられて、興味がありません。やはり歌手は歌がうまくなくてはなりません。s-The_Peanuts02.jpg                           素晴らしいハーモニーを聞かせてくれた『ザ・ピーナッツ』に今でも拍手をおくっております。

  もうひとり、山田五十鈴さんは私の年代では映画より舞台の思い出がたくさんあります。            芸術座の『あかさたな』や『たぬき』、東京宝塚劇場で観た『狐狸狐狸ばなし』など、ベルさんの芸達者な演技が目に焼きついております。                                         この記事を書きながら『狐狸狐狸ばなし』を思い出していたら、菊田一夫の要請で北条秀司が書いた戯曲で、出演が森繁久彌、中村勘三郎(先代)、三木のり平、それに山田五十鈴がメイン・キャストなので、これですべての方が故人となってしまいました。皆々様のご冥福をお祈りするとともに、舞台で素晴らしい芸を見せていただいたことに感謝をいたします。生身の人間が演じる舞台の魅力を存分に味わせてもらいました。                                               s-『あかさたな』芸術座.jpgs-『たぬき』01芸術座.jpgs-『たぬき』02芸術座.jpg                            

  私たち凡人は死んでしまうと親しかった人の心に『記憶』だけしか残りませんが、芸能人の方々はそれぞれの芸が『音』なり『映像』として残ります。ザ・ピーナッツの素晴らしいハーモニーは我が家でいつでも聞くことができます。ベルさんの演技はDVDなどで拝見できます。                      それらはすべて後世に残すべき日本の宝でしょう。                                    去りゆく昭和に悲しみを感じるのは私だけでしょうか? あらためてご冥福をお祈りいたします…

  

                   


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シアター・クリエ『飛び加藤 ~幻惑使いの不惑の忍者~』 [演劇・舞台]

  季節外れの台風4号が和歌山県を直撃した6月19日、私たち夫婦は日比谷シアター・クリエで『飛び加藤 ~幻惑使いの不惑の忍者~』の舞台を楽しみました。

s-飛び加藤 チケット.jpg

s-飛び加藤 チラシ.jpg

  忍者が活躍する時代劇ですが、人魚姫(リトル・マーメイド)のストーリーを中心に、旅芸人の娘の純愛と、過去を語らず身分を隠すしている忍者との人間模様が描かれます。困難に立ち向かう時に登場する“手妻”(てづま)<江戸時代に稲妻のような速さの手わざでそう呼ばれた現代の“手品”>がアクセントを添えております。大半が笑いに包まれて、まるでテンポの早い漫画を見ているようです。主要なキャストの中では、旅芸人・楓役の佐津川愛美さんの演技が光ります。元気いっぱいの少女を、新体操の経験を生かした身体能力と豊かな表情に、今後を期待してしまいます。        町人から武士、さらに黒子までその他大勢を、9人の役者さんが入れ替わりで演じております。チーム・ワークの良さが要求されるアンサンブルです。舞台の成功の要素にアンサンブルの上手さが挙げられます。彼ら9人は見事に演じ切り、カーテンコールでは惜しみない拍手を贈りました。

   やはり生の舞台は素晴らしい。人間、スポーツでもそうですが、一生懸命にやればやるほど光り輝きます。久々に生の舞台に接して、人間の素晴らしさを味わいました。ありがとうございました!!

  和歌山県に上陸した台風は、その後関東地方に北上。終演後の東京は暴風雨の真っ只中で、びしょ濡れになりながら帰宅した夜でした…

s-飛び加藤 01.jpg飛び加藤 02.jpg飛び加藤 03.jpg飛び加藤 04.jpg飛び加藤 07.jpg飛び加藤 08.jpg飛び加藤 09.jpg                          〈写真は東宝オフィシャル・サイトより〉

 


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浅草演芸ホール [演劇・舞台]

  『寄席』を楽しんできました。浅草演芸ホールで六月下席(6/21~6/30)の28日、昼の部です。

s-006.jpg                                                      <下町情緒あふれる・浅草演芸ホール>

s-浅草演芸ホール 6月下席演目.jpg                                                          <六月下席番組>

  寄席を楽しむのは久々です。都内には新宿、上野、池袋そして浅草に寄席の高座がありますが、今まで行った事がありませんでした。これまでは、日比谷の芸術座で開催されていた『東宝名人会』を楽しんできました。しかし今では劇場そのものもありません。                        TVでは、お笑い番組が全盛ですが寄席芸を味わうことは難しいです。お笑い芸人が1分そこそこの出番で笑いを取っては交代して、目まぐるしいばかりです。その場限りの笑いで、面白いことは面白いのですが後に残りません。久しぶりにじっくりと寄席の話芸に、マジック、コマの曲芸などを楽しませていただきました。                                               平日の真っ昼間、へべれけのお客様から飛ばされるヤジをもネタにして客席を沸かせる高座の落語家、TVでは絶対に味わえない生の、本物の笑いです。丁々発止のやり取りに客席は大喜び、笑点の大喜利を目の前にしているようで、当然のことながら客席の酔っ払いには座布団はありません…。         中でも印象深いのは、桂 米丸師匠です。85歳でもまだまだ現役。自身の高齢をマクラにして、携帯電話の歴史を語る新作落語でした。時代の流れを敏感に察知しながら、ネタにしてしまう落語家の才能と話術に、笑いながらも感心させられてしまいました。                             “笑う角には福が来る…”、実感させられたいち日でした。

s-001.jpg                                                     <え~、馬鹿馬鹿しいお笑いを一席…>

 


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新春浅草歌舞伎 2010 [演劇・舞台]

  昨日、めでたく(?)満59歳を迎えました。                                同級生はことし皆60歳の還暦になりますが、私はまだ50代です。 50代最後のこの一年は健康に留意したいと思います。

  先週、新春浅草歌舞伎を観てきました。(1月25日第二部) 

浅草公会堂前.jpg                                                                                                                           <会場の浅草公会堂前> 

  出し物は、中村亀鶴による『年始ご挨拶』に始まり、『奥州安達原 おうしゅうあだちがはら』袖萩祭文・一幕と、舞踊の『悪太郎 あくたろう』です。亀鶴の軽妙な挨拶は、公演特製の羽子板がお年玉として当たる抽選もあり、客席を沸かせます。                                 続く『奥州安達原』では、女形の袖萩(そではぎ)と安部貞任(あべのさだとう)の二役を演じる中村勘太郎が絶品。袖萩役で登場したときは声がかすれ気味で、公演終盤のために疲れが出ているのかと心配をしましたが無用でした。後半、安部貞任役では堂々、朗々たるせりふの歌いまわしに父親や祖父の役者魂を感じさせるほどでした。                                    歌舞伎は通常長唄で演奏されますが、この『奥州安達原』では、浄瑠璃で語られます。(浄瑠璃・竹本愛太夫、三味線・豊澤淳一郎) 実にダイナミックな浄瑠璃の語り口と譜面無しで奏される三味線に圧倒されっぱなしで、袖萩と娘お君の親子の愛情表現にはまるで人形浄瑠璃を見ているようで、涙をさそわれたほどです。お君を演じた女児は、指示された振り付けをただただ一心に演じているだけなのですが、子役と動物に役者は喰われてしまうと言う言葉通りに、客席の喝采を浴びておりました。                                                         安部貞任役は歌舞伎のあらゆるテクニックが盛り込まれており、勘太郎はそれらを見事に演じきりました。歌舞伎のエンターティメントとしての所作がこの役だけでも充分に観客は楽しめるのです。  あっぱれ、勘太郎!です。次代の勘三郎襲名が期待されます。(まだまだ、早いかな?)         舞踊『悪太郎』でタイトルの悪太郎を演じたのは市川亀治郎です。せりふだけを聞いていると猿之助と間違えそうです。そっくりなのです!                                      まるで志村けんが好んで演じるようなコミカルでウイットに富んだ内容(失礼!)で、テンポとリズミカルな動きに新春の華やかさまでもが感じさせられました。                              今後の歌舞伎界を背負っていく若い皆さんのエネルギッシュな舞台で、歌舞伎本来の楽しさを満喫させていただきました。また来年が楽しみです。

夜の浅草寺.jpg                                                                                                                               <終演後に参拝を。夜の浅草寺>

 


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おめでとう国民栄誉賞、森光子さん [演劇・舞台]

  先週の土曜日、5月9日に女優の森 光子さん主役の舞台『放浪記』が、堂々と上演2,000回の記録を打ち立て、同時にその日は森 光子さんの89歳のお誕生日でもありました。さらに昨日、国民栄誉賞が贈られることが政府より発表がありました。重ね重ねお祝いを申し上げ、さらなる今後のご活躍をお祈りいたします。                                                   実のところ、私も一時期この『放浪記』の公演に関わりあっておりました。          30年以上前の昔の話になりますが、若き20代の約10年間、『放浪記』を上演する劇場で団体客を勧誘する業務に携わっていました。『放浪記』の上演回数200回代から500回代にかけての時代です。                        今なお日本中の皆さまから愛されている素晴らしい舞台なので数多くの想い出があります。故・小鹿 番さんの演じる“菊田一夫”役は、ご本人が驚くほど良く似ていたし…、故・三木のり平さんの潤色・演出で約1時間上演時間が短くなったものの、どこを省略したのかわからないほど巧妙に再構築され…、上演回数を重ねるほどに主役の森 光子さんは若返っていくし……。                       中でも300回を迎える公演の千秋楽の打ち上げパーティーが記憶にあります。3ヶ月間の上演期間を終えると300回記念になるべき公演(1971年3~5月)でしたが、あいにくの交通ストライキに遭遇して3回ほど公演が中止になってしまいました。打ち上げパーティーの冒頭、当時の演劇担当A常務が、“残念ながら3回中止になってしまい300回には成りませんでした。その分今日は「さんかい」の珍味(山海の珍味)を用意しましたので、存分に味わってください…”との挨拶をされて、うまいことを言うなぁ~と、感心をしてしまいました。あれから30数年が経ち上演回数が2,000回を越えて新記録を達成、現在もその記録は更新されております。主役の森 光子さんがお元気で舞台を続けられる賜物です。                                                     森 光子さん、どうぞおからだを大切にして『放浪記』をお続けください。私の青春の一部となっている『放浪記』をこれからも応援いたします。

                                                     297回となってしまった公演の想い出として、小鹿 番(当時は小鹿 敦)さんの菊田一夫役を紹介いたします。

s-小鹿 番の菊田一夫役01.jpg                         s-小鹿 番の菊田一夫役02.jpg                                             <小鹿 番さん、公演プログラムより>

 


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二十四の瞳・Ⅱ [演劇・舞台]

  昨秋、懇意にしていただいている知人が今春、小豆島に引っ越すとの連絡をもらい、それに関連して[08年09月30日:小豆島、08年10月07日:二十四の瞳]の記事を書きました。引越しは予定より早くに先月末に終了して、今ごろは荷物の整理でてんてこ舞いをしていることと思います。お手伝いができなくてごめんなさい…。

  今日書きたいことは、10月の 『二十四の瞳』の記事についてです。記事を目にした『megoly1109』さんからコメントを頂戴いたしました。なんと、37年も前のその舞台に出演していたそうで、当時の懐かしい思い出が一杯思い起こされたそうです。コメントをいただいた私もビックリ、うれしいやら恥ずかしいやら…。私の記憶が間違っていなければ良いのですが…。

『二十四の瞳』の舞台では大勢の子役さんが大活躍しておりました。みなさんすごい芸達者で、そのなかのひとりが『megoly1109』さんだったわけです。コメントの文章から察して、下の写真の中の女の子のひとりと思われます。

s-二十四の瞳・子役達72年夏.jpg                                                       <72年公演パンフレットより>

  当時の写真を無断使用して申し訳ありません。お許しください。                             総勢38名の子役の写真がパンフレットに掲載されております。おそらく稽古の期間中に撮られたものと思われますが、夏休みをつぶしての舞台出演にもかかわらず皆さん活き活きとした表情で、舞台にかける意気込みが伝わってきます。この子達の名演技で客席を涙の洪水にしたことが、まさに昨日のことのように思い出されます。皆さんはすでに40代後半の年齢に達して家庭を持ち、お子様に囲まれての生活をなさっていることでしょう。ご自分のお子様にぜひ自慢してください。日本の演劇史に残る芸術座で、菊田一夫の脚本・演出の舞台に出演して、観客に感動を与えて、40年近く過ぎた今でもその舞台を覚えている人がいることを…。

  『megoly1109』さん、コメント本当にありがとうございました。アドレスがわからないためこの記事で失礼ながらお礼申し上げます。もしまだ俳優としてご活躍ならば教えてください。舞台を拝見させていただきたいです!

 


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二十四の瞳 [演劇・舞台]

  1972年夏に東宝・芸術座にて上演された『二十四の瞳』の思い出を綴ります。
壷井栄の傑作小説『二十四の瞳』は高峰秀子や田中裕子が出演した映画が有名ですが、故・菊田一夫が舞台化しております。

s-菊田一夫と八千草薫、小豆島田の浦分校にて.jpg
<小豆島・田の浦分校を訪れた脚本・演出の菊田一夫と
主役の八千草 薫、1972年春。公演パンフレットより>

  屋外のロケをふんだんに使用した映画と違い、限られた狭い空間での舞台化はかなりむずかしいものと思われましたが、菊田一夫は見事な舞台に仕上げました。
観客の涙腺を刺激させる三幕構成で、それぞれの幕を涙、涙、涙で締めくくり、静かに平和を訴えかける名舞台です。
一幕の終わりは、足を怪我した大石先生が分教場から本校に異動することになり子供たちとのお別れの場面。子役達が本物の涙を流して名演技を披露して、客席はもらい泣き…。
二幕は6年生になった子供たちの修学旅行の場面。気分が悪くなった大石先生が偶然に立ち寄った金毘羅のうどん屋で、奉公に出された教え子の松江と再会。帰りの船に乗る元同級生達の、いちっ、にっ、さんっ、しっ…、点呼の声を遠くに聞きながらひとり寂しく、うどん屋の入口にたたずむ松江の姿に、客席はすすり泣き…。
個人的な意見ですが、この松江役を演じた関口奈保美ちゃんが絶品。
当時役柄と同じ12歳とすると今は48歳になっているはずです。実生活で良き母、あるいはすでに良きおばあちゃんを演じているかも知れません。
終幕第三幕は終戦後、大石先生を囲む同窓会の場面。戦争で眼が不自由になった磯吉が思い出の写真をあたかも見えているように指でたどり、うしろでは音楽学校を出たミサ子(早苗だったかも?)がアカペラで“荒城の月”をひとり静かに歌いだし…。
感極まった磯吉が突然ビックリするほどの大声で泣き叫びます。あまりの大声に観客も驚かされます。まさに男の号泣…。一瞬の静寂ののち、客席からは嗚咽する声がそこら中から聞こえ始めます。
終演の音楽が静かに流れて、幕が音もなくおりてきます。
終演後、客席はすぐには明るくなりません。お客様の涙を拭う時間を考慮してのことでした。
それと毎回、お客様と客席の案内係が一緒になって床に這いつくばっている姿が思い出されます。
涙で落とされたお客様のコンタクト・レンズを探していた姿です。

  この菊田一夫の『二十四の瞳』は、75年に樫山文枝で再演、92年に榊原郁恵で再々演されておりますが、その都度僅かながらですが演出に手が加えられております。そのせいでしょうか再演ごとに観客の涙の量が減ってきました。時代を反映しての演出なのでしょうか。
世界的に不安定になった経済や今の生活のなか、菊田一夫のオリジナル演出で清らかな涙をタップリと流してみたいものです。菊田一夫の泣かせのテクニックに脱帽です。


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